大学無償化よりも企業が高卒を採れば良い

大学教育の無償化が叫ばれている昨今。もちろん素晴らしいことだと思うのですが、肝心なのは「大学に行きたくない人が就職のために無理に行かなくて良くなること」ではないでしょうか。企業も大学の勉強が役に立たないと思うなら高卒を採れ。

※2018年2月15日にこの記事を一部編集しています

 衆院選の争点として、教育無償化が急浮上している。しかし、大学などの高等教育に対しては「質の低下が懸念される」「自己投資の側面が大きい高等教育の費用を税金で賄うのは公平性に欠ける」などの反対意見も聞かれる。全国の私大のうち4割が、赤字経営とも言われる状況の中、大学無償化は必要なのか。8月下旬に「大学大倒産時代」(朝日新書)を刊行し、延べ300校の大学を直接取材してきた教育ジャーナリストの木村誠さん(73)に聞いた。

教育無償化は大学を救うことにはならない

「大学無償化によって逆に淘汰が進む可能性がある」と指摘する木村さん
━━「大学大倒産時代」では、18歳人口の減少により、大学進学率が現在の52%のまま推移すれば14年後には10万人の受験生が減ることになり、入学定員1000人規模の中堅大学が100校消滅する計算になる、としています。大学無償化を行えばそういった大学を救済することにつながるでしょうか

ならないと思います。大学無償化は一時的なカンフル注射になると思いますが、長期的に見たら、却って大学を窮地に追いやる可能性もあるのです。私立高校では実際に授業料の無償化によって、運営難になる学校法人が出てきています。私立高校はこれまで授業料を自由に設定できました。しかし、公的に補填されることによって、経営の自由度が下がっている。ある程度規制されるようになったため、授業料の値上げも簡単にはできないし、付属の大学の運営に費用を回すといったことも難しくなりました。ですので、高校主体の学校法人が運営する大学に悪影響がでています。

 

「大学大倒産時代」の著者に聞く━━大学無償化は本当に必要?

 

大学無償化の意味

大学無償化と言うと、多くの場合は教育のアクセスの問題に落ち着くはずです。誰でも多くの人が高等教育を受けられるようにしたほうが良い。言っていることは素晴らしいと思います。この記事のように、それが経営側にとっても重要なトピックではあるでしょう。

しかし、私は大学無償化については複雑な感覚を持っています。正確には、教育のアクセスというのをこれ以上広げる意味があるかどうかが疑問だということです。

大学無償化にしたら確かにアクセスしやすくはなるでしょう。でも、そもそもアクセスしたいけど出来ていない人というのはどのくらいいるのでしょうか。アクセスされるべきと言われているのは「学知」のことだと思いますが、私が知っている限りでは多くの大学生は大学に就職のために行っています。

すでに大学は全入時代-同世代の半数が大学に行く時代になっています。これ以上アクセスを拡大することよりももっと重要な改革があるのではないでしょうか。

就職のために大学に行く人達

そう、私が言いたいのは就職のための大学を終えることです。みんな大学で勉強したいこともないのに、とりあえず大学に行かないとまともな仕事に就けないという極めて消極的な理由で大学に行かざるを得ない現状に怒りすら覚えるのです。

そのために数百万円もの借金を奨学金という名前の学生ローンを借りて作る必要をなくしたい。大学に入ってどれだけの人が知的に学んだというのでしょうか。ほとんどの人は単位を取って、そして卒業していく。それが事実でしょう。

実際、企業の人間も「大学の勉強なんて無意味だ」というでしょう。社会経験が大事だとか言うのであれば大卒を採用しなければよい。社会人としての基礎を身につけさせたいというのなら、高卒を採用して1-2年程大卒よりも安い給料で雇ってしっかり教育すればよろしい。

大学での学びを無駄だと言うなら高卒を採用せよ

こういう人材育成コストを勝手に大学にアウトソーシングした上にそのための資金を出すわけでもなく、寄生虫じゃないんだからこんな甘えたことは通じるわけがないでしょう。国家の税金や借金漬けになるような学生ローン(奨学金という名前を使うのも腹が立ちます)を投入されている大学に、企業がどの口で文句を言っているのかさっぱりわからない。

誰かに大卒を採用せよと強制されているわけでもないのに何を言っているんだろう。そもそも大学の勉強で一番大事な卒論の時期に就活させておいて何を言っているんだと言いたい。大学の学びの一番重要なところは「答えの決まっているお勉強ではなく、まだ答えのないところに知を積み上げること」にある。大学生も1-3年生くらいはほとんど教科書を使った大講義室のお勉強しかありません。

その先に進むのが卒論なのに、その時期にまさに就活を求めている。大学を出て得られる重要な研究力は身につかない。その上、企業は大学生に研究力ではなく社会人的スキルを求めている。二重三重にねじれてしまっているわけです。実に驚くべき現状です。

私が言いたいのは高卒を採用しろということです。大学で大した学びがないというのなら、高卒を採れば良いでしょう。高卒を採らないのに大学は無意味という。そんな矛盾はありません。自社で、自社のリソースを使って採用した人材を育ててください。

こんな矛盾のためにどれだけの人が借金を背負っているか。企業は自分達の罪をもっと考えるべきです。大学を無償化するよりも、大学に学びに来ていないのに就職のために借金漬けになる人が減るように高卒が採用されるような社会に変えるべきだというのが私の主張です。

P.S.

大学無償化、大学と社会との関係についての様々な論点を整理した記事です。関心のある方は是非ご一読ください。

8 thoughts on “大学無償化よりも企業が高卒を採れば良い

  • 2018年2月15日 at 12:36 PM
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    大卒を高卒
    高卒を中卒に置き換えてみても論としては筋がとおるけど、中卒を取れというのもちょっとおかしいような気がしますね。

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  • 2018年2月15日 at 10:29 PM
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    筆者のおっしゃることも非常によく分かります。ただ、僕は企業側の意見に賛成です。
    大学は実学だけ教えていろとかそんな高いレベルの話ではないんですよ。給料貰っているならまともに仕事しろ、というレベルの話です。日本の大学教育のレベルは本当に低い。もっと大学教育の実態が知られるべきです。
    地方国立大学なんて、教養教育の多くは本当に酷いもので、専門科目ですら酷いものは少なくありません。むしろ学生がそれなりに真面目なぶん、教育の質の低さの影響は隠れてしまい、Fランク大学と中身はさほど変わらないのではないかとすら思うこともあります。かかっているお金に見合った質はあるのでしょうか。
    大学は自ら学ぶ場所だとよく言われます。学問は等しく価値がある、これも保障されるべきことです。ただこれらの言い分のお陰で、大学教育は何の試練にも晒されなくてよいことになりました。大学教育に対する的を得た批判であっても、この論に逃げてしまえば相手は何も追及できなくなります。
    こういうぬるま湯の環境が、半ばやりたい放題の状況を作っているわけです。
    そして一度教授になってしまえばクビになることもまずない。
    大学教育は、いつか一度メスが入るべきだとは思います。
    あまりにも役に立たないので大学教育の中身は重視されず、大学名でポテンシャルを判断するしかなくなっているのが現状ですから、中卒から受けられる試験を導入し、その成績を持って企業の面接に行くような制度なら、わざわざ大学に通って無駄な時間と金を消費しなくて済むのでは、と思いました。

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  • 2018年2月16日 at 12:34 AM
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    「就職のための大学を終える」ことを主張されていますが、むしろ「就職のために大学に行き、将来の職場で役立つ学識をしっかり勉強する」社会を目指すべきだと思います。例えば、工学部は多かれ少なかれこの方向を意識した教育をしています。文系でも教育学部や商学部など、学んだ知識が大学以外に活かす場所がある学部は、同様の方向性でしょう。

    おそらく文系の大学を念頭に上述の主張をされていると思いますが、「職業教育は職場で(OJT)」というのは世界的に見ればかなり特殊です。何故なら諸外国では、職業知識が無い若年者を雇う理由が企業に無いからです。そのため、彼らの職業教育を公的な教育機関が担っています。

    日本の場合は、メンバーシップ型雇用の慣行によって未経験者の新卒一括採用が実施され、OJTが行われています。そして学歴は採用時のスクリーニングとして機能しているに過ぎないため、「大学での勉強は役に立たない」と言われる状況になるのです。

    この状況を前提に「高卒を採れ」と企業に要請するのは無理があります。第一の理由は、スクリーニングの観点からは平気的に見れば、大卒の方が高卒より質が高いからです。どちらも職業知識が乏しいならば、質が高い方を選ぶでしょう。第二に、今後のAI技術等の進展に対してOJTで対応していくことが困難になっていくと思われるからです。

    以下の記事が参考になりますので、関心があればご覧下さい。

    入社後に社員を育成するのが企業の本来の姿・・・そう、メンバーシップ型社会では
    http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/3344/3288/118914135

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    • 2018年2月16日 at 10:03 AM
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      > 第一の理由は、スクリーニングの観点からは平気的に見れば、大卒の方が高卒より質が高いからです。
      ここを修正するために企業が 「高卒」を採用するべきだという話だと思います.
      大学の存在理由がスクリーニングなのでしょうか?それなら,センター試験の数値か何かで評価するほうが,その後の大学卒業までの 4年間の無駄なコストを払う必要がない.

      > この状況を前提に「高卒を採れ」と企業に要請するのは無理があります。
      これ,企業と大学と若者の三竦み状況なので,
      ・大学で (研究する事について) 学びたいとは思っていない高校生が進学しない.
      ・大学が研究する事について学びたいとは思っていない高校生を入試で落とす.
      ・企業が高卒を採る.
      のいずれかのアクションでバランスが崩れて,”この状況” が変わるんですよね.
      ”この前提” を維持したいけど,企業にとって良いように状況を改善したいのなら別ですが,動くなら企業じゃないですかね..
      大学が変わることで状況を変えるとして,大学の主役割をスクリーニングするなら,もう大学は学位とか出さないように変えた方が健全にも思えます.

      > 職業知識が無い若年者を雇う理由が企業に無いからです。
      伝え聞くところによると,そもそも,”その企業” 独自の文化・方法で仕事をしていると聞きます.
      海外では,企業に限らず広くに使われているあるソフトを使えるか否かが技能なので,同じソフトを
      利用できるなら人材を交換可能で,それは簡単に転職できることを意味します.
      日本では,あまりそういうふうにはなっておらず,企業が独自にカスタマイズしたソフトを使うとか..
      その場合,”あるソフトを使う技能” をその企業以外に教育することはできません.
      ソフトに限らずですが,そういうところが壁になっているという記事は見かけるように思います.
      # 例) http://shigeo-t.hatenablog.com/entry/2014/01/15/113026

      そして,仮にそういった ”技能” を習得させる場合でも,”大学” ではなく ”専門学校” だと思います.
      技能に関しては大学の教育の主目的ではないし,専門学校である技能を学んだ人に対して,
      その技能に関連する大学の研究科・学部の卒業生が,その技能において能力を超えていたら,
      単に ”良い人材だった” や ”ラッキーだった” だけで,大学がその ”技能” を保証する必要は無いはず
      です.

      その代わりに,大学は 「研究力」で専門学校に負けては行けないはずです.
      単に,スクリーニングという観点から 「とりあえず平均的に良い人,できればスーパーマン」
      と企業がどういう人材が欲しいかを明確にすること無く要請することが,
      教育全般を歪め「職業訓練」というサブテーマに大学を縛り付け,
      それ故に学生も縛り付け,無駄な借金まで背負い込ませている,
      それが問題だ,というのが元の話だと思います.

      実のところ, 「大学に行く必要のない人は大学に行かないで良い社会を作るべきだ」は
      大学にとって非常に辛い話だと思います.ただでさえ人口が減っていますから.
      まぁ,新しいことをどんどんやらないと世界において行かれて,結果,縮小する社会情勢で,
      今後,自動化・システム化が進むだろうことも合わせれば,「研究力」が不要な仕事は減る,
      ように思っていますが,大学から見た贔屓目かもしれません..
      > 将来の職場で役立つ学識をしっかり勉強する」社会を目指すべき
      というご意見と同じです.

      まとめると,スクリーニング機能を大学に求めるなら,「将来の職場で役立つ学識をしっかり勉強する」
      機能は大学から失われる (学生の学識に対するモチベーションがない) ので,現実的に問題を解決できるとは思えない.
      なぜなら,現状のように,建前では学識を勉強するところでも,本音では企業も学生もスクリーニング機能を期待するようになるからです.
      ということです.

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  • 2018年2月16日 at 1:11 PM
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    就活に社会的な弊害があるという認識と、そこをなんとかしたいという筆者の想いに賛同します。
    ただ、就活の課題というのは、大学と企業の2者で捉えても解決し得る課題ではありません。そもそも大学無償化って経済界からの要請で出てきた政策案ではないですよね?
    企業から高卒へアプローチしようにも、「対話や試験を重ねて適正者を選考しよう」という活動が、全面的に禁止されているといっても過言ではない状況です。新卒一括採用は、解雇規制に縛られた大企業が取りうる最適解になっていて、新卒一括採用という仕組みから生まれるニーズを捉えたのがリクナビ等就活サイトであり、学生は活用可能なツールを目一杯活用して、親などの価値観に沿った良い就職というゴールを目指しています。政治家は票を狙って弱者保護政策を訴え、労働局は労働者保護を推進するも予算の限界もあり、セーフティーネット機能を企業に求めます。私には、ほぼ全てのプレーヤーが、現環境下で最適な戦略を取った結果、おかしなことになっているという風に見えます。取り組むべきは、生態系の再構築という頭の痛い話になってくるように思います。
    ただ、その第一歩として、高卒の選考に関する規制を撤廃し、高卒で社会人になるキャリアプランを高校教員や人事担当者へ啓蒙する、こういう考えは、このコメントを書いていて、悪くない気がしてきました。

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  • 2018年2月16日 at 5:14 PM
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    あとはまあ、ガリ勉の高校生が名門大学に入って、それなりに遊んで過ごすことで人間的にバランスがとれるというのもありますね。
    まあ現状で何とかなっている以上、誰も変えようとはしませんよね。特に日本は変化の起きにくい国です。今までの歴史上社会の仕組みが変わったのは、戦争で焦土になった時だけです。とっとと見切りを付けて海外に出ていくしかありません。

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  • 2018年2月18日 at 2:25 AM
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    TOEICやTOEFLの練習問題参考書を解いていると、たまに欧米での職業訓練校の話題が出て来ます。
    「今までは〇〇系の仕事をしていたけれど、ディーラーになる夢を叶えたくてここ(職業訓練校)の講座を受講したい」というようなシチュエーションです。
    これは、古文を解く上での貴族や天皇に関する知識のような、試験に臨む上での前提知識として解説されます。参考書によれば、履歴書に記入できる学位取得コースも存在するそうな
    それくらい、欧米では職業訓練校の存在は普通のようです。では、職業訓練校の文化が存在しない、もとい、職業訓練校=専門学校や高等学校の〇〇科の社会的地位が低い日本ではどうすべきなのでしょうか。
    これを踏まえて、私は日本企業の「投資」への価値観が薄いなと思います。
    私の考えとしては「投資」とは「お金を費やしたら、何割かの確率で(←重要)何倍かに膨らんで手元に帰ってくる」、それが投資だと思います。
    日本マクドナルドが、赤字経営を立て直すために社員の給料を引き上げたら黒字になったというニュースに対して、日本の経営陣が驚いたコメントを発表しているのが、今でも奇妙でなりません。
    社員への給料と言う名の投資を増やした結果、収入が増えた、それすら理解できない経営者がこんなにいることが私には不思議です。
    私は就職度外視で文学部を選んだ身ですが、そんな私でも自分が経営者だと考えたら給料を下げるような真似はしません。社員の生産性が下がったり、会社を辞める可能性があるからです。

    企業は大学に即戦力を求めるなら高卒を雇え。
    目からウロコな提案でしたが、転職というリスクのために投資を渋るような経営者たちには到底受け入れないでしょう。
    ですが、私個人はこの視点を今後頭の片隅に残し続けたいと思います。
    大変興味深い記事をありがとうございます。

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  • 2018年3月14日 at 10:32 PM
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     専門的な学問を教える大学は最早「学問を学ぶ場」ではなく「就職のための最も一般的かつ安定したルート」になっているように思われる。

     この現状は学生・大学・企業・社会すべてにとって、経済的にも時間的にも非常に無駄が多いように感じる。
     ならば今コストを割くべきは「大学の無償化」ではなく、専門的な学問よりも社会に出てから直接的に役立つものを学べる実践的な学校などの「就職のための最も一般的なルート」を別に設置することではないだろうか?

     そう考えると専門学校の増加は自然淘汰的であると思われる。
     しかし、将来的に就職はしたいがまだ何をしたいか決まっていない学生が大半であるわけだから、専門学校より就職先が絞られない大学が選ばれるという流れは、少なくともすぐには覆らないだろう。
     ならば、より汎用性のある専門学校のような学校、すなわち社会に出てから直接的に役立つものを学べる実践的な学校が今、必要なのではないだろうか?

     それを企業が用意するというのは、一つの有効な選択肢だと思われる。
     急に「高卒を採れ」などと乱暴なことを言ったところで企業も「採るか、馬鹿野郎」と反発することでしょう。
     それに、学生時代のバカも人生経験として無駄と決めつけるのは早計であり、回り道や直接的に関係のない経験・知識が意外なところで役立つこともまた事実。
     何にせよ、私は「就職のための最も一般的なルート」を推します。

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