オーストラリア政府が国民の幸福のためにあるなら同性婚を導入する必要がある

政府はなんの為にあるのか、あるいはなぜ政府の権力が正当化されるのか。そのような疑問に応える時、国民の幸福という視点を失う訳にはいきません。同性婚を認めない国家では同性愛者の幸福は著しく侵害されているなら、それは国家の怠慢です。

 オーストラリアはいまだに同性結婚を合法的に認めていない先進国の一つである。 今度の郵便調査で結婚平等が公に支持されていることがわかれば、自由投票が議会で開催される。 そうでなければ、現政権が続く限り、同性カップルは結婚することはできないだろう。

同性カップルは異性カップルよりも精神障害になりやすく、自殺のリスクも高い。もし結婚平等が支持されなければ、彼らの健康にとって非常に有害な結果になるだろう。 これは、同性愛者たちが日常的に晒されている汚名や差別が直接的要因である。

調査によると、同性結婚を合法化した国や地域では、同性愛者と異性愛者の精神衛生上の差ははるかに小さい。 これは、自殺率が何十年にもわたって国家の重大な懸念となってきた若者の場合には特に顕著である。

今週のAustralian Institute of Family Studies(オーストラリア家庭研究所)の全国調査によると、14-15歳のうち10%が過去12ヶ月の間に自傷行為を行い、5%が自殺を試みた。 同性結婚を合法化すれば、同性愛者の間だけでなく、社会全体の自殺率も下がるだろう。

 

同性結婚を合法化すればオーストラリアの若者の自殺率は下がる

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国家はなんの為にあるか

国家、それはあまりにも生活の影に隠れてしまって選挙の時くらいにしか存在を認識しない-選挙のときですらしない?-ものです。しかし、国家には恐ろしいほどの権力があります。人を殺しても死刑という形で合法であり、その人の許可なくお金を税金という形で奪うことが可能です。

なぜ国家にはそれだけの権力があるのか。色々な説明がありますが、フィクショナルな回答としては「憲法がそう規定するから」、違う回答としては「暴力装置を独占しているから」といえるでしょう。

後者は非常にシンプルです。組織として極めて大きく、税金を得ることでお金も破格の額を持つのでパワーがあるのです。パワーとは「自分のさせたいことをさせること」「自分のしてほしくないことをさせないこと」です。

政策による利益誘導と刑法による罰をもってこれを成立させています。国に逆らえないのは、逆らったら捕まるからです。

綺麗事としての国家

このような考え方をすることも出来ますが、同時に異なる現実もあります。綺麗事やフィクションと見る方もいますが、国家が権力を持つのは「国民に資する形でのみ」だという考え方があります。国民の幸福に繋がるようなことをしている限りにおいて国家は成立する。憲法は国家が上記のような暴力をむき出しに出来ないようにするためのブレーキです。

国家は国民が最低限度に文化的な生活を営むための要求に応えなければならないし、幸福を追求しようとする国民の要求に応じる必要があります。それをしないなら国家は憲法に反し、その瞬間権力の正当化根拠を失います。国家は国民のためにあるのです。


(国家論は一般に政治哲学という分野で議論されますので興味ある人は是非)

これをフィクションや綺麗事だという人もいますが、実際生活保護などはこのような憲法上の文言によって正当化されます。綺麗事が実際に社会を動かしていることもまた確かなのです。

同性婚と国家:短期的な視点

さて、このような視点から見てみると同性婚とは国家にとってどのように考えるべきものでしょうか。視点は幾つかあります。全ての中心的問いは「それは国民の幸福に資するか」というものです。

まずシンプルな答えを取るなら、この問いにはイエスでしょう。数字上も明らかなほど、同性愛者にとって結婚という制度が自分たちを排斥すること-それはつまり社会が同性愛を認めないということ-に強い精神的ダメージがあり、自殺率の高さや自己肯定感の低さからも大問題です。

同性婚を行うことによって国民全体の幸福度が高まるのは間違いありません(同性婚が合法化されることによって「不快」になる人はいても「不幸」になる人はそう多くないでしょう)。

同性婚と国家:長期的な視点

しかし、別の側面があります。それは同性婚を認めることが国家の存続においてプラスかということです。短期的な視点としては当然イエスであっても、同性婚を認めることで少子化が進んで幸福を保障するための国家自体が無くなってしまったら大問題ですよね。

しかし、これについてはノーでしょう。もしも同性婚を認めると少子化が加速するなら、少子化問題を議論する時に同性愛の話が少しは出てもよいのに、少子化問題を語る時に同性愛がトピックになる所を見たことがありません。少子化問題は労働(時間、雇用形態)、女性の社会進出、教育の高度化などによって語られるものであり同性愛の観点から語られるものではありません。

同性婚の話をするときだけ少子化と絡めるのはほとんど言いがかりに等しいでしょう。とはいえ、この辺はもっとデータを集めていずれこのサイトの「随時更新記事」のように出来たらと思っています。

まとめ

同性婚について日本で許可しない理由はありません。短期的にプラス、長期的にプラマイ0ならやらない理由がありません。もちろん他の論点を用いれば別の議論が可能ですので、今後それもやっていきたいですね。

例えば家族文化の崩壊というのも良い論点だと思います。

追記

オーストラリアの国民投票で、同性婚導入にYESの声が過半数を越えたようです。近々同性婚が制度的に導入されることになりそうでなにより。(2017.Nov.15th)

3 thoughts on “オーストラリア政府が国民の幸福のためにあるなら同性婚を導入する必要がある

  • 2017年10月27日 at 11:54 PM
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    家族文化の崩壊という論も成立しないと思います。同性カップルも家族は作れますし、第三者の協力があれば子どもだって持とうと思えば持てます。
    同性婚が否定される余地はありますが、それは、同時に異性愛者の婚姻の否定にも波及する議論となるでしょう。

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    • 2017年11月3日 at 8:53 AM
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      felice_japonicaさんコメントありがとうございます。家族文化の崩壊と「子どもが持てる≒少子化を促進しないかどうか」は別の議論なので、家族文化の崩壊と同性婚は議論をすることが可能だと思います。同性婚が少子化を促進するかどうかでいうと、しない可能性も十分あると思います。包括的に考えると異性愛者の婚姻制度(という特権)ごと否定するというのも当然ありえる立案だと思いますね。

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  • 2018年3月10日 at 9:41 AM
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    本文にある視点に、

    同性愛に対する生理的嫌悪

    を追加されたい。
    これなんでか考えたんだけど、異性愛者が

    もしも自分が同性愛者だったらーー

    って相手の立場に立ったときに感じる、同性から言い寄られる気持ち悪さが原因じゃないかと。

    んでこれをなんとかするにはBL本、百合本の流通。
    いろんな物語の登場人物に、魅力的だけど同性愛者、という奴を出す海外ドラマ的マイノリティ配慮。
    を繰り返して、

    LGBTと聞いて人がイメージする者をよくするしかない。

    だからLGBTとその支援者は、これら創作物をポリコレで排除しないよう注意し、余裕があるようなら自分で創って流通させよう。

    ソフトパワーで浸透してフォロワーを増やして制度を変える。

    これが日本社会でLGBTの権利を拡大する一番いい方法ではないでしょうか。

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