男性も総合職ではなく一般職に就く時代、会社中心生活の終わりへ

一般職と聞くと女性が無意識に連想される時代は終わろうとしています。そもそも総合職と一般職という区分けも無意味なものになっていく。それが働き方の多様性ある、目指すべき社会でしょう。結局転勤しないと偉くなれない仕組みから改革が必要。

 新卒の就職活動において、男子学生が一般職での就職を希望するケースが増えているそうです。これまで企業の一般職には、女子学生が就くことが暗黙の了解となっていましたが、これはあくまでも企業側の論理です。社会の価値観は多様化していますから、企業側はこうした状況に合わせた採用が必要となってくるでしょう。

多くの企業では、総合職と一般職という2つの区分で新卒採用を行っています。総合職は、将来管理職になることが期待される人材の採用枠、これに対して一般職は、事務や補助作業などに従事する社員の採用枠です。昭和の時代までは、幹部候補生として採用するのは男性という暗黙の了解があり、女性は基本的に補助業務に従事するというのが当たり前でした。

しかし1986年に男女雇用機会均等法が施行されたことで男女差別が禁止され、男女別の採用ができなくなりました。その結果、使われるようになったのが、現在の総合職と一般職という区分です。しかし現実には、女性が補助作業という感覚はなくなっておらず、一般職には平均的な4大卒、あるいは短大卒の女性が応募するものと認識している企業が多いと考えられます。

時代の変化は企業側の想像を大きく超えて進んでいます。このところ、いわゆる有名大学を卒業していながら、一般職での入社を希望する女子学生が増えていますが、彼女たちが一般職を希望する最大の理由は転勤や長時間残業の問題です。新卒一括採用・終身雇用という、いわゆる日本型の雇用環境においては、企業は総合職の社員に対して、滅私奉公的な働き方を要求することになります。正社員のクビを切らないことを保証している以上、企業は不景気でも社員を解雇することはできません。

その結果、常に少なめの人数しか採用せず、繁忙期には長時間残業を行うことで解雇を避けるという慣習が出来上がりました。人材を入れ替えることもできませんから、営業拠点などが変わっても、配置転換でカバーしなければなりません。このため転勤は日常茶飯事ということになります。

一部の女子学生はこうしたシステムに魅力を感じておらず、それが一般職への応募につながっているわけですが、これは男子学生でも同じことです。一部の学生が、補助的業務でもよいので、私生活を優先したいと考えるのはむしろ当然のことでしょう。

日本はこれまで右向け右の昭和型の社会を当たり前と考えてきました。しかしこれからは、生活のすべてを賭けて仕事に邁進する人や、私生活を重視する人、ひとつの職種を極めたい人など、様々な価値観を持った人がうまくチームを組んでいく必要があります。日本型の一括採用はそろそろ限界に来ている可能性が高いでしょう。

via THE PAGE「男子学生も一般職希望、価値観の多様化で日本型の一括採用システムも限界?」

総合職と一般職という区分け

非常に丁寧な記事!

1.男性が幹部候補、女性が補助業務担当として雇い分けられていた
2.男女雇用機会均等法に伴い性別で雇い分けができなくなる
3.総合職と一般職の区分けへと変化する
4.終身雇用の負の側面として雇用の流動性が低いため総合職は転勤が多い
5.転勤を嫌がる人(主に女性であった)が一般職に勤務する
6.男性も会社中心から私生活中心に価値観が変化
7.一般職に男性が就くようになってきている

という時代の変遷を、制度変更や企業慣行も踏まえてわかりやすく説明されていて良い。大事なのはこの説明に「べき論」などが一切入っていないこと。ウェットな解釈が入っていないから論旨がすっと入ってくるね。

総合職と一般職というのは、男女雇用機会均等法によって生じた区分けだったとは知らなかった。そう考えると確かに一般的な通念として男女とこの職分がセットになっても不思議はないよね。最近はエリア総合職(要するに転勤がない)なんてのもあると聞いたけど、やっぱり本気で上に行きたいなら総合職一本とも言われている。

忠誠が出世の決め手になる会社

日本はその企業出身の人以外が後から入ってきて出世したり高い地位に就くことについての抵抗が凄く強いから、成果だけじゃなくて「その企業にいかに忠誠を誓っているか」が出世の大事な評価項目になるんだろうな。

それ自体は悪いことではないし、1つの戦略だよね。組織の文化を作るために重要。バリバリ働くことが美徳な会社があってもいいし、そこで出世していくのは私生活も大事にしつつそれ以上に仕事に打ち込む人達。それが明確な文化としてあれば、誰もそれを不当な文化だとは思わないと思う。

大事なのはそういう文化が好きな人と嫌いな人がいて、その中にも優秀な人と優秀じゃない人がいるということ。好き-優秀は確保出来たら嬉しいし、好き-優秀じゃないは嬉しくないし、嫌い-優秀は機会損失としてマイナスだし、嫌い-優秀じゃないは最初から要らないという話だよね。

だから、こういう文化が嫌いな人が増えるとこういう企業は優秀な人材を取りにくくなる。ただそれだけのことで、それは企業の自由の範疇のように思う。バリバリ働いて出世していって給料上がるの最高! って人がこれからすぐ減っていくとも思えないしね。

多様性が好きな人は、多様性が好きな企業へ

キャリアの仕事をしていると「いまの会社をやめて世界一周してから/半年間留学してから転職したいんですけど、そういうのってやっぱりマイナスになりますかね?」といった声を聞く時があるんだけど僕の答えはいつも1つ。

「そういうのが嫌がられる企業に入りたいんですか?」

というもの。世の中には色んな会社があって、色んな文化がある。世界一周なんて良いじゃんどんな経験してきたの? と食いついてくる会社もあれば、そうではなくて「いつまで子どもみたいなことやってるんですか」と不採用にする会社もある。それだけの話なんだよね。

だから僕としてはいわゆる多様性が好きな人は、多様性がちゃんと企業文化や人事制度に取り込まれている企業をおすすめする。そうじゃないと当然ながら息苦しくて耐えられなくなってしまうから。一般職と総合職といった区分けもない会社がたくさんあるよ。

世の中には本当にたくさんの会社があるので無理だと思ったら完全に力尽きる前に、つまり次の会社を見つける体力がある内に退職した方がいい。一度精神的、肉体的に潰れたら通院しないといけなくなったりして非常に苦しいので(といっても、本当に厳しい状態にいる人はそんなことを考える余裕はないのだ)。

ジェンダーも多様性の1つ

そう、だからこの記事にあるように雇い分けとジェンダーの関係における多様性を担保している会社だってちゃんとある。バリバリ働きたい女性も、仕事は程々にして家庭を大事にしたい男性も、その逆だって同時に働けるような会社もあるし、そういう人達だけがいる会社だってある。

ここでジェンダーっていうのは性別によって異なる、社会から求められる役割のこと。男性ならバリバリ働けっていうのは一種のジェンダーによる抑圧になるわけ。これによって苦しめられている人は少なくないと思う。男性とか女性である前に、人だし、人には色んな得意不得意や好き嫌いがある。

だから、いわゆるジェンダー的な抑圧を受けるのが苦しい人には3つの選択肢がある。1つ目は、ジェンダーの多様性を良しとする文化がある会社に入ること。2つ目は、そういう会社に転職すること。3つ目はいまいる会社を変革していくこと。

特に3つ目はやはりめちゃくちゃ難しいので容易なことではないけど、日本はまだまだ転職市場が成熟していないので辛いよね。というか転職市場が成熟すると優秀な人材に逃げられやすくなるので多様性を担保する企業も増えるのだけど、まあそれは鶏と卵の関係だ。

ダイバーシティ・マネジメント

そしてこれは少し余談になるのだけれど、企業の目的は常に利益の最大化だ。だから、最大化につながる戦略は積極的に取らなきゃいけないし、そうしないと気づかない内に負けていることがある。上記のような性別だけじゃなく、年齢や国籍などあらゆる多様性について「取り入れないとまずい/取り入れた方が強い」という考えがある。

「多様な属性(性別、年齢、国籍など)や価値、発想を取り入れることで、ビジネス環境の変化に迅速かつ柔軟に対応し、企業の成長と個人のしあわせにつなげようとする戦略」と定義しています。(2002年日経連報告書『原点回帰―ダイバーシティ・マネジメントの方向性』)

色んな人がいたほうが組織は強くなる、ということなのだ。大量生産の時代とは違い、いまは「違い」によってサービスの質が測られる。そこでは多様な価値観が反映された商品開発、マーケティング、販売の戦略が重要になる。そこで多様性ある組織のほうがより良いものを提供出来ると考えられる。

ただ、問題は色んな人がいる場合マネジメントのコストは上がるということ。人事制度をひとりひとり柔軟に変えたりしてたら物凄いコストになる。出勤時間も人によって変えたり、育児休暇や戻ってからのポスト確保など多様性を維持しようとすればするほど大変なのだ。それだけの価値はあると言われているが、予算や人材に余裕がないとその大改革は行えないし、なによりその危機意識がないといけない。

単一性が高いほど「管理」は楽になるけど、そこには創造性が欠ける。創造性(あるいは問題解決の力)はビジネスにおいて極めて重要で、この多様性と創造性に関しては学術論文(創造的問題解決における多様性と評価洞察研究からの知見  人工知能学会論文誌 Vol. 19 (2004) No. 2 P 145-153 )も多く出ている。こういうのが好きな人は論文の参考文献からどんどん追ってみたら面白いと思う。

多様性と国家の関係

僕は個人的には、やはり人は自分の生きたいように生きられることが幸せに通じると思う。その望む姿は人によって全く異なるし、それでもちろんok。ただ、政府や国家のレベルでは「多様性」をちゃんとパワーに変えるような制度設計が求められる。色んな人が色んな生き方をしつつも、組織≒国家全体としてはプラスになるような制度設計が非常に重要だ(女性の社会進出と出産率どちらも高い国は、その制度設計がうまいのだろう)。

実際、女性の社会進出によって少子化が進んでいる。女性の自由を高めた結果、社会や共同体が弱まっては、その自由を担保する共同体自体がダメになってしまうという意見もtwitterではよく見る。それはある側面として正しいと思うけど、2つここではコメントしたい。

1.この記事にもあるように男性(とうかあらゆる性)の働き方の多様性も今後出てくるだろうということと、それは外国人や高齢者も含む意味で。2.「女性の社会進出と共同体の維持・強化」を両立するような制度を考えることが、みんなハッピーじゃないですか、ということ。

上にも書いたけど、多様性のマネジメントは大変。画一的に管理した方が目先のコストは絶対に低い。けれど、多様性を柔軟に受け止められる方が最終的な生産物は良いものになるし、たとえ難しくても個人の最適化が全体の最適化に繋がるようにするのが国家の最大の任務の1つだろう。そういう制度設計はどうやったら可能なのか、僕も考えていきたい。

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