インセル≒弱者男性? モテ男を憎み、女性を蔑視する差別主義者たち

最近トロントで痛ましい事件が起こった。車で何人もの女性を轢き殺した男は自身を『インセル』と主張し、自分の性的不満足を強烈な羨望と裏返しの破壊的な加害衝動に転換した上での犯行だ。インセルとはなんなのか、簡単に調べて整理してみた。

インセルの凶行

先日、驚くべきニュースがあって言葉を失ってしまった。それを読んだときのツイートがこちら。

東洋経済オンラインに取り上げられた該当記事を一部引用して、この恐ろしい事件についてまずは簡単に説明した上でインセルという言葉の意味に迫りたい。

4月23日の白昼、カナダ一の大都市トロントで、バンが意図的に歩行者を襲撃し、10人が死亡、15人以上が負傷した。(…)今回の容疑者アレク・ミナシアン(…)も所属するといわれる別の過激思想団体が急激に注目を集めている。(…)「インセル」と呼ばれる女性蔑視主義者だ。

(…)インセルとは、恋愛および性的なパートナーが見つからない、あるいは自身に性体験のない原因が女性にあるとする男性たちだ。パートナーを持ち、ふつうの性生活を送る女性たちをみな娼婦のようにみなし、極端な場合、彼女たちを暴力やレイプで「罰する」ことを奨励する。

(…)また、ニューズウィーク米国版によると、女性はfeminoidまたは foid と呼ばれることもある。女性を人間ではない humanoid「ヒト類似、ヒト型ロボット」と見なしているからだ。

(…)トロントでの事件後も、早速ミナシアンの行動を賛美する声が登場。若い女性の犠牲者1人につきビールを1杯飲む、などという書き込みもあった。

具合が悪くなりますね。これはいくらなんでも酷い。LGBTや民族などに関するヘイトが少ないカナダでこのような事件があったということで、現地ではかなりの動揺が広がっているようです。

インセルの定義

さて、このように非常に恐怖を覚える集団であるインセルとはそもそもどのような意味を持っているのか。その言葉の定義について簡単に調べてみました。

インセルとは、involuntary(自発的でない) celibacy(禁欲主義者、独身)のこと。元々はカナダ人女性が、そのようなパートナーに恵まれない男女の出会いの場になるようにと立ち上げたサイトの名前だったそうですが、その言葉の意味は大きく変遷していったようです。

インセルという言葉を使うのは主にそれを自称する男性異性愛者で「恋愛的、あるいは性的なパートナーを望んでいるのに見つけることが出来ない人」だとされます。

 is a subculture consisting of online communities whose members define themselves as being unable to find a romantic or sexual partner despite desiring one.[1] Self-identified incels are almost exclusively heterosexual and male.[2][3] (wikipedia)

これだけであれば別に害があるわけではありません。しかし、実際はこのような考え方「男性至上主義」を背景とした集団を南部貧困法律センターはヘイトグループであるとしてそのリストに追加しています(What Is ‘Male Supremacy,’ According To Southern Poverty Law Center?)。

(南部貧困法律センターとは、公民として与えられるべき平等権、いわゆる「公民権」を守るための活動をするアメリカ合衆国の非営利団体。主に人種差別に対する抗議運動と啓蒙活動をしている by wikipedia)

なぜなら、彼らが熱心に活動するオンラインコミュニティには参照記事にもあったように「ミソジニー(女性嫌悪)」「暴力の称賛」「レイシズム」が常にセットだからです。

彼らは「なぜ自分がそのような関係を持てないのか」という理由に関わらず「女性やモテる男性が自分たちをこのような苦しい状況にしている、許せない」と鬱屈した感情を抱え込んでおり、それを加害性に転化してしまっているということです。

弱者男性という言葉との関係性

僕はこのような一連の定義を読んだ時に、思わず「弱者男性」という言葉を思い出しました。この言葉については今後更にリサーチする必要があると考えているのですが、かなり近い前提や背景を共有しているように思ったのです。

弱者男性という言葉は一般的に男性が自ら称して使う言葉です。意味合いとしては社会的地位が低かったり、異性に対する魅力が足りないと感じており、自分たちをLove-Shy(異性関係における強烈な気後れ、不安:インセルコミュニティでよく使われる言葉)であるとします。

そして人によっては非常に攻撃的であり「女性(との性行為)の分配」を主張し(典型的な女性のモノ化)、性行為を行ったことのある女性を娼婦と見なし、処女性を非常に重視するといった側面があります。

Twitterを見ていてもこのインセル的な考え方を持った人たちは多数存在しているように思います。日本では女性嫌悪(ミソジニー)という言葉を使って理解されることが多いかもしれません。しかしインセルには、本質的には「そういうパートナーが欲しいのに手に入らなくて苦しい」という前提があることから、弱者男性という言葉はミソジニーよりインセルのほうがより近い文脈のようにも思います。

インセル≒弱者男性と向き合う

最初にインセルという言葉を聞いた時にはよくわからず、実際に当該記事を読んでみたところその強烈な暴力性に驚きました。ちなみにインセルによる大量殺人はwikipediaで紹介される範囲で3件あり、アメリカで2件今回カナダで1件起きているようです。2014年のそれはコミュニティの中で神聖視されている模様。

なんにせよ、これは決して対岸の火事として理解されるべきものではなく、日本でもいつ起きてもおかしくないもの、なんなら報道が足りていないか僕の知識が足りていないだけで既に起きていることなのかもしれません。

単に「インセルという考え方は良くない」と言って終わりにしても良いのですが、もう少しだけ考えてみたい。それは、なぜ「インセル≒弱者男性」が生まれてしまったのかということ。そして、彼らは社会においてどのように取り扱われるべきなのかということを。

キーワードは「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」と「社会的孤立」です。十分に自分の中でも検討しきれていないので、ここではあくまで一つのアイディアという形で書いていきます。

弱者男性とロマンティック・ラブ・イデオロギーの終焉

以前このような記事を書きました。ロマンティック・ラブ・イデオロギーとは「恋愛と結婚と子育て(にまつわる性行為)はセットであることが望ましい」という考え方です。

今回に関連するところで絞ると「見合い結婚の終焉」と「女性の自立」と「イデオロギー自体の揺らぎ」が重要なポイントになると思います。

見合い結婚の終焉

まずは見合い結婚の終焉。見合い結婚が主流だった時代は、ほとんどの人が結婚していました。そして、多くの場合は当然性行為を含んでいました。そのような時代には「望んでいるのに性的パートナーに恵まれない」という事態は決して多くはなかったでしょう。見合い結婚の崩壊と共に、インセル≒弱者男性は少なくとも日本においては急増したものと思われます。

女性の自立

続いて「女性の自立」ですが、これは見合い結婚の終焉と密接に関わっているでしょう。なぜならば、1970年代頃の女性などは「結婚しないと生きていけなかったから」です。男性よりも明らかに給与が低く、そもそも働く場も与えられていなかった当時、しかし結婚しないと一人前でないとか子どもを育てられないといった社会的な圧力の中で、結婚しないと生きていけなかった。しかし今は違います。

それどころか、女性を含めた男性も非正規雇用に煽られる中で(詳細は上述記事を御覧ください。女性の社会進出が男性の非正規雇用化を進めたとは僕は考えていません)みんなギリギリのところで働きながら生きている。社会的な圧力も弱まった中で、最低限生きている状況がある中、わざわざ「望まない結婚」をしたがらない人が増えたのは当然でしょう(男女とも)。結婚が義務でなくなったとき、性行為もまた誰もが経験することではなくなりました。

イデオロギーの揺らぎ

相互的なものでしょうが、このような社会的背景の変化もあって恋愛・性行為・結婚などはセットで語られなくなってきました。恋愛は人生でたった一度だけである必然性はなくなり、性行為と結婚が強く紐付けられる必要もなくなりました。そうすると必然、結婚が義務でなくなったことと連動して「Winner takes all」的な状況になることが予想されます。

実際、マッチングサービスでのマッチング率は現実よりも更に遠慮のないものだそうです。要するにステータスの高い男女にリクエストが集中し、そうでない人間には全くリクエストが来ない。これは紛れもない現実です。

これらが弱者男性、インセルを産んだ社会的な背景の一つであることは間違いありません。だからといって「昔に戻しましょう」とはなりませんが、理解しておくべき前提になるでしょう。

インセル≒弱者男性と社会的孤立

さて、ぼくは最近「孤立」という概念に関心を持っています。(ここでは一般に孤独と使われがちな言葉も孤立と表現しています。前者は「望んで一人でいる状態」であり、後者は「一人でいざるを得ない状態に苦しんでいる、というニュアンスがあります」)

イギリスでは2018年に「孤立担当大臣」が置かれることになりました。孤立は社会的な問題であるとされています。社会的な損失は4.9億円にも及ぶとされています。

・イギリスでは、900万人以上の人々が常に、もしくはしばしば「孤独」を感じており、その3分の2が「生きづらさ」を訴えている。

・月に1度も友人や家族と会話をしないという高齢者(65万人)の人口は20万人にのぼった。週に1度では36万人になる。

・身体障害者の4人に1人は日常的に「孤独」を感じており、18〜34歳の中では3分の1以上になった。

・子どもを持つ親たちの4分の1が常に、もしくは、しばしば「孤独」を感じている。

・400万人以上の子どもたちが「孤独」を訴え、チャイルドライン(相談窓口)の支援を受けた。

-via 「孤独担当大臣」とは? 新設されたイギリス、「孤独」の国家損失は年間4.9兆円

 

メイ首相は17日、首相官邸でコックス議員の追悼集会を開き、「孤独は現代の生活の悲しい現実」だと指摘。「高齢者や介護者、愛する人をなくした人、話し相手がいない人、あるいは考えや経験を分かち合う相手がいない人の孤独に対応するために行動を起こす」と語った。

孤独は生活の質を低下させるだけでなく、寿命が縮まる可能性が高まるという調査結果もある。

心疾患および予備軍と診断された45歳以上の4万5000人を対象に実施された調査では、1人暮らしの人の方が、誰かと同居している人よりも死亡する確率が高いことが分かった。若者の場合も、ソーシャルメディアのヘビーユーザーほど、社会的孤立度が高い傾向があった。

孤独は別の面でも健康に悪影響を及ぼしかねず、例えば運動不足になったり食事がおろそかになったり、医者へ行こうという気が起きにくいこともある。それがストレス増大や血圧上昇を引き起こし、心疾患につながることがある。

-via 「孤独」担当大臣を任命、900万人の社会的孤立に対応 英

このような社会的な孤立について、日本はまだまだ社会問題としても認識されていないように思いますが、ぼくはこれは重要な社会課題として認識されるべきだと考えています。高齢者の孤立死やLGBTの権利(これもきっと社会的孤立の文脈でも語ることができるだろう)など、この問題の一部は既に取り上げられていますがインセル≒弱者男性については公的な手助けが及んでいないように思います。

その手助けの方法が女性の権利を侵害する形ではもちろん許されませんが、それ以外にも様々な方法が考えられます。このような活動をしている団体やイベントがあれば、今後是非紹介したいと考えています。

終わりに

このオピニオンメディア「四角い世界を丸くする」では多様なオピニオンを取り上げ、対立してコミュニケーションが取りづらくなっているトピックも積極的に取り上げたいと思っています。

今回のインセル≒弱者男性問題も、多くの方が問題意識を抱えていながら、相互に理解しあえず批判しあっていると思います。僕個人としては「女性の分配」などという女性をモノ化し自由意志の無い存在と同様に取り扱う加害的な考え方には反対です。

しかし同時に、インセルや弱者男性と呼ばれる人たちが感じている孤立について共感し続けたいとも思うのです。加害的な意識の前にあるのは、「なぜ社会的に価値があると思われているものを自分は手に入れられないのか」「手に入れられない自分は社会的に価値の無い人間なのではないか」といった感情ではないでしょうか。これらは社会的に解決に向かうべき重大な問題だと思います。

是非たくさんのコメントをお待ちしております。

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