選挙に600億円以上掛かってでも民主主義を貫き通さないといけない理由

600億円も使って選挙をするくらいなら、もっと社会のためになるお金の使い方があるのではないか。そんな風に安倍総理の電撃解散を責める声もあったけれど、民主主義にとってお金は絶対についてくるコスト。受け入れるしかないんだよなあ。

政府は、今月22日に投票が行われる衆議院選挙で必要な経費として635億円余りを使うことを6日の閣議で決めました。

政府は今月10日公示、22日投票の衆議院選挙に必要な経費として今年度予算の一般会計の予備費から635億5210万円を使うことを6日の閣議で決めました。
内訳は投開票などに必要な経費として626億円余り、選挙の啓発のための経費として5億円余り、選挙違反の取締りの経費としておよそ2億円、在外投票の経費としておよそ2億円となっています。

via: 衆院選 必要経費は635億円余り 閣議決定 | NHKニュース

 

民主主義には大きなコストが掛かる

大義なき選挙にお金が掛かるなんて、そんな風に安倍総理の急な選挙を責める人がいます。実際の所、大義はあったと言えます。これだけ北朝鮮問題があり、国防の話になれば当然憲法がトピックとして上がるのは当然です。改憲も視野に入れるとなると改めて選挙をして国民に信を問うというのは間違ったやり方ではないでしょう。

 

しかし、たとえ大義が無かったとしても選挙にお金が掛かるから控えろというのは危険な考え方です。600億円よりもっと大事なものを失ってしまうかもしれないからです。お金より大事なものとは何か? それは民主主義そのものの理念です。

 

民主主義は大前提としてコストが凄く掛かります。良い仕組みではあるのですが、それだけ負担は大きいのです。1億人以上いる国民の声をあまねく吸い上げて代表者を選び、その代表者達が日本のこれからを決定するのですから生半可なことではありません。

 

大きな組織≒国家になればなるほど当然選挙は大変になりますよね。大きく繁栄した国家であるほど、そのコストは大きくなります。具体的には、民主主義達成のためには時間とお金が掛かるのです。

 

時間とお金という民主主義が持つコスト

時間とお金というのはどういう意味でしょうか。一部の人だけが政治を決めてしまう寡頭政治は「一部の人が特権的に」決めることが出来ます。もちろんその中で交渉や調停は必要ですが、それにしても1億人もの大人数の意見を聞いて調整しなくて良いのでずっと簡単です。

 

だから、民主主義的なやり方に比べて明らかに時間がかかりません。当たり前ですよね。選挙をするためには委員会を設置して、会場を用意して、公示して大量の紙を刷って、会場で説明する人も物凄い数が必要になります。しかし、それでも民主主義のためならば仕方がありませんよね。

 

そして当然ながら多くの人やモノを巻き込むと多額のお金が掛かります。これも当然のことです。ボランティアで民主主義を達成することなど出来ませんから、人を雇って上記の膨大な作業をこなすためには報酬を支払う必要があります。

 

 

要するに、日本中みんなの意見を聞こうとするとお金も時間もかかる。それは当然のことなのです。にも関わらず、こういう選挙に対してお金の話ばかりしている人がいます。気持ちはわかるのですが、その考えは民主主義に必然的についてくるものを攻撃しているわけなので、民主主義を否定するのと同じようなことになってしまうのです。

 

国民の意見がちゃんと反映されるような制度を維持するためには大変な労力が必要です。しかしその労力に見合うほど、民主主義という理念には価値があるはずです。僕達の知らない間に勝手に軍が作られたり、他の国に戦争をふっかけるようになるほうが、600億円払うよりももっとずっと怖いことだと思います。

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