黒人の98%に支持されない「アメリカ」大統領トランプという存在

アメリカ国民の代表たる大統領。ショーのように国民の関心を集めその座を手に入れたトランプ大統領。国民の代表たる彼が、特定の属性を持った人達の98%から支持されていないというのが民主主義の面白さです。多様性国家アメリカの2つの顔。

【ワシントン時事】米キニピアック大が27日に公表した世論調査結果によると、トランプ大統領に対する黒人の支持率はわずか2%で、93%が不支持と回答した。

南部バージニア州で8月に起きた白人至上主義者と反対派の衝突について「双方に非がある」などと発言したトランプ氏に、黒人の大多数は反感を覚えているようだ。

調査は今月21~26日、1412人を対象に電話で行われた。調査対象全体では、トランプ氏の支持率は前月比1ポイント上昇し36%、不支持率は2ポイント低下し57%だった。

 

トランプ氏、黒人の支持率2%=経済・テロでは評価も―米世論調査

 

政治家はなんの為にいるか

政治家はなんの為にいるのか。民主主義の世界には大きく2つの考え方があります。一つ目は直接民主主義。全員で議論して全員で決めるというもの。30人くらいのクラスなら可能ですが、国家となると当然不可能になります。

なのでほとんどの国家では間接民主主義が取られます。すなわち、代議士-代わりに議論してくれる人-つまり政治家を国民が投票で選んで、その人達が集団全体のことについて議論するというわけです。

もちろん国民にも色んな人がいます。大会社の社長と派遣労働者では、望ましい法律は全然変わってくるでしょう。前者からすると派遣は労働力の調整がしやすく、すぐに切れるので嬉しい。しかし派遣労働者からすると正規雇用じゃないといつまで働けるかもわからず不安。

そんな風にたくさんの種類の国民がいるので、当然政治家も複数名いないといけません。でないと国民の色んな声を反映することができないからです。

大統領はまさに国家の代表だ(?)

その中でも大統領というのは、国家・国民を代表するような存在です。議員選挙よりももっと大々的に行われるからです。当然代表といっても多数決的な意味での代表ですから、全員の意見をまんべんなく採用しているわけではありません。

しかし、その国家のいまの雰囲気を体現しているような人が大統領になるわけです。オバマ大統領の時にあったのは「初の黒人大統領誕生」というある種の強烈なムーブメントでした。アメリカは差別の歴史といっても差し支えない。だからこそそれを打破するヒーローが求められました。

そこにあったのは多様性とアメリカンドリームでしょう。出自を問わず、立身出世出来る社会としてのアメリカ。そんな国家を、国民がオバマ大統領に託したといえると思います。

そして、トランプ大統領

オバマ大統領がいたからこそ、今回トランプ大統領が選ばれたのだという言い方は当然出来るでしょう。多様性の夢を見た後にある様々な世界不安。アメリカにおける止まないテロリズム、世界中の難民問題、そして移民が欧州に入ることによる情勢不安。

アメリカは一時期人種のるつぼ-melting potと言われていました。しかし今ではサラダボウルだと言われます。すなわち、色んなものが入っているけど一つに溶け合っているのではなくそれぞれは別ものとして形を残しているのだということです。

つまり、多様性は統一を意味しない。結局同じ場所にいても、そこに対立や異なりが意識されるということです。多様性だけではダメで、そこにはインクルージョン-包摂-と言われる概念が重要になるのです。それぞれ違う、違うけど認め合うということですね。多様性は前者しか意味しない。

しかし、インクルージョンが如何に難しいか。それを思い知らせてくれたのがトランプ大統領の登場でしょう。インクルージョンは理想ですが、現実は理想通りにはいかない。エスニックマイノリティなどの存在は「アメリカ」という国の文化を保持したい人からすると邪魔くさい。労働を奪い合い、「本来のアメリカ人」が割りを食っていると考えるわけです。

そういう意味で、トランプ大統領は確かにアメリカの代表なのです。ダイバーシティもインクルージョンもやっぱり難しいんじゃないかというアメリカ国民(の一部)の声を受け止めて誕生したのです。

だから嫌われるのは当たり前

ですから、トランプ大統領がエスニックマイノリティや黒人に嫌われるのは最早当然のことです。それでも選ばれた、ということがだから物凄い意味を持つのです。

アメリカという国家は一つ大きな決断をしました。多様性や包摂を捨て、むしろ単一性と排除を良しとした。ものすごく接戦でしたが、多数派としてトランプ大統領が選ばれた。

排除される側からしたらたまったものではない様々な政策-イスラム系の排除、再帰国の禁止など-も彼を支持した人からしたら大正義なわけです。


(個人的には、正義とは常に社会によって構成されるものだという感覚があります。つまり正しさはその地域、その時代に作られるものであって、永遠不変のものなど無いだろうということです)

その正義を頭ごなしに否定することにはなんの意味もないでしょう。文化が壊されていくこと、自分たちの拠り所、守るべきものを守っているわけですから。

個人的には人権保障の立場に立ちたいところですが、人権とは何か、保障するとは何か。この議論も結局は多数決が決めること。アメリカ国民は今後人権、その保障をどのように定義付け、政策に落とし込んでいくのでしょうか。

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