フェミニズムの歴史を概観する:第一波フェミニズムとはなんだったのか

フェミニズムが「女性」の運動として始まらざるを得なかったのは歴史の要請だった。フランスの人権宣言が「Homme(男性)の権利」を主張しているという女性からの批判は鋭いものだったのだ。0からフェミニズムを考えたい人向けの記事です。

この連載について

この記事は「生きづらさとジェンダー論を考える」という連載の中に位置づけられる。ジェンダー論とは性に基づく社会的役割規範からの自由を求める思想であり、女性や男性(あるいはそもそもこのような二分法を破壊することも視野に入るだろう)が、その性ゆえに求められるものを浮き彫りにし、その文化的強制力を相対化したいと考えている。

いま、多くの人達が生き辛さを覚えている。僕はその理由の一つはまぎれもなくこのような「べき論」によるものだと考えている。べき論は文化の中に潜り込んでいて僕達を知らない間に縛り付け、抑圧する。そのためにはまずそのような抑圧があること自体を可視化する必要があるだろう。この連載ではあらゆる「ベキ論」をまずは明るみに出していきたい。

連載「生きづらさとジェンダー論を考える」
vol.1フェミニズムの歴史を概観する:第一波フェミニズムとはなんだったのか
vol.2フェミニズムの歴史を概観する:第二波フェミニズムとはなんだったのか
vol.3ジェンダーを巡る:近代家族という発明品と伝統の構築
vol.4ロマンティックラブ・イデオロギーと母性神話:恋愛、結婚、子育てを巡る現代の価値観
vol.5結婚への圧力が消えた社会の未婚化→少子化とジェンダー
vol.6女性の専業主婦願望の難しさ、男性が共働きを求める理由
vol.7「LGBTは気持ち悪い」記事から見える【元】マジョリティが認めたくない現実
vol.8パートタイムと非正規雇用:女性の労働問題からすべての人の労働問題へ
vol.9海外で上映が一部禁止!? 男性の権利についての映画『The Red Pill』、日本上映の立役者にインタビュー
vol.10女性の労働、ガラスの天井と能力主義の嘘
vol.11フェミニストが男性の権利を直視するドキュメンタリー映画「The Red Pill」を見て

 

ジェンダー論とフェミニズム

ジェンダー論を考える上で、もちろん避けて通ることが出来ないものといえばフェミニズムだ。日本では非常に多様な意味で取り扱われている。女性に優しい人をフェミニストと言ったりもするが、元々の意味を考えれば全くの誤用だ。他にも「何か女性のことについてうるさく文句を行っている人たち」をフェミニストと呼んだりもする。頭が痛くなる話だが、まさにこのようにフェミニズムは日本で取り扱われているだろう。

フェミニズムとは、元々の始まりを18世紀頃に置く運動だ。詳細は後述するが、主には女性の権利獲得という文脈で語られてきた。それは、当時女性という「性別」によって権利が認められていなかったからだ。性に対する抑圧への反発であって、決して男性を否定するためのものではなく、あくまで性によって権利を奪われていることへの怒りが始まりである。ここを勘違いしてはならない。(男性に対する嫌悪については、別記事「ミサンドリー(男性嫌悪)とフェミニズムを一括りにしてはいけない 」を参照のこと)

とにかく、性に基づく抑圧について考えるのがジェンダー論ならば、当然フェミニズムの存在は避けて通れないというわけである。そこで、まず連載の最初にフェミニズムのことを簡単に把握しておきたい。

フェミニズムの歴史的な展開

フェミズムは大きく第一波と第二波、そして第三波の時代に分けることが出来ると言われています。第三波は現代がまさに渦中にあるものであるのでまだ整理は難しく、今回の連載ではまず第一波と第二波について触れるに留めます(この記事ではまず第一波に触れます)。

簡単にまとめておくと、第一波は近代社会が作られる過程の中で(フランス革命や人権宣言、アメリカの黒人解放運動など)女性がその権利を男性だけのものにしないための運動であったと言えるかもしれません。

そして第二波はそのような近代化がある程度の完成を見せたとき、女性のキャリアや生き方が非常に狭く抑圧されていた状態に対する批判的運動であったと言えるでしょう。今回は第一波についてまとめていきたいと思います。

第一波フェミニズム:フランス革命

第一波フェミニズムを、フランス革命に紐付けて考えてみるのは見通しがよくなるという意味で有意義でしょう。フランス革命とは端的に言って「階級」という人間分類の破壊を目指したものだったと言えるでしょう。聖職者、貴族(王族)、市民といった分類によって人を区別するような社会を撤廃するべく行われたムーブメントです。

しかし、その市民という言葉が曲者でした。いまの私達の感覚からすると、市民というのは子どもから老人まで全てを含んだ概念をイメージするでしょうが、当時はそんなことはありません。健康で外国人でなく中産階級以上の男性だけが市民であったのです。

そこから抜け落ちる多くの「市民でない人たち」がいる限り、例え身分社会が壊された所でそれは中途半端なものであったわけです(日本においても男性の選挙権は「普通」選挙法と呼ばれ、女性の参政権については婦人参政権運動と言われていることともパラレルですね)。それに対して女性が議会に参加する権利などを求めたのがこの第一波フェミニズムです。

人間を仮に単純に二分するなら男性と女性という風に分けられるとして、人口の半分にも達する女性を無視した「人権宣言」にどれだけの矛盾が含まれていたかは想像にかたくありません。また、欧米語のほぼ全てがそうですが、人という単語は男性という意味の単語であることがほとんどです。

Hommeはフランス語で人を意味しますが、同時に男性を意味します。英語でもManは人も男性も同時に意味しますし、これはドイツ語なども同様です。しかし女性という意味の単語が人を意味することはありません。

なので、フランス革命の結実である「人権宣言」もまた「Droit de L’Homme(人、男性の権利)」です。それが人ではなく男性のみを指しているとして、フランスのオランプ・ド・グージュは「Droit de La Femme(女性の権利)」と書き換えて公開しました。

女性は理性を持たないとされた

なぜこのように人権運動の中で、人々の半分を占める女性がないがしろにされてきたのでしょうか。現代ではほとんどありえないような理屈が当時たくさん存在していたので、そちらも紹介しておきましょう。

例えばジャン・ジャック・ルソーの思想を取り上げてみます。ルソーといえば当時の市民社会を牽引する啓蒙的な哲学者の一人で絶大な影響力がある人です。啓蒙思想に共通するところですが、まず彼らは人間を他の動物とを切り離して考えます。人間には「理性」があるから他の動物とは違うと考えます。

そうして、ルソーは「女性は感情の動物」であって「男性の持つ理性を獲得出来ない」ために人間としては認められず、よって人間が持つ権利も与えられないと考えたのです。更に彼は、女性は独立してはならず恐怖に依って支配され、コケティッシュな奴隷であるべきだと主張しています。絶句するほど愚かな考えですね。

男性にのみ理性があるならば、せめて性犯罪がもっと減ってくれればいいと心から望みますけれど。衝動的な怒りに駆られて人を殺す人間は圧倒的に男性が多いという事実を考えても、なんというか馬鹿らしい立論だとしか言いようがありません。それでも当時はこれが真面目に主張されていたのですね。彼の主張に対しては、イギリスでメアリ・ウルストンクラフトが大々的な反対論陣を張りました。

アメリカの第一波フェミニズム

フランスやイギリス以外でも、同様に近代社会が形成されようとするまさにその場において、女性の権利が疎外されていることに気づいた人たちが運動を起こしています。アメリカではこの時期何が起きていたでしょうか? それは黒人と市民との間にある緊張関係のムーブメントです。

そこで起きることは想像出来るでしょうか? フランスのそれと非常に類似した構造です。すなわち黒人を市民として認めようとするとき、そこに女性の権利というものは完全に捨て去られていたのです。

ロンドンでの黒人差別撤廃運動に参加していた女性らは、会議に参加しようとしたところ女性という理由で参加を拒まれたのです。彼らは自分たちが誰かを救済する立場ではなく、むしろまず自分たちをこそ解放しなくてはならないということに気づいたのです。

そこから、彼女ら(エリザベス・ケイディ・スタントンとルクレシア・モット)は女性解放会議を1848年にニューヨークで開催します。しかし、女性参加者の中には「政治的発言を女性がするのにはまだまだ時期尚早ではないか」と不安になる人も多くいました。

実際、当時女性が演説をすることは法律によって禁じられていました。原稿を書いてもそれを演説するのは代理の男性だったのです。こんなことが当たり前に許されていた、法律によって決まっていたというのは信じがたいですよね。でもそういう時代があったのです。彼女たちの戦いがあって、いま初めて女性は当たり前のように政治的な発言が可能なのです。

日本の第一波フェミニズム

日本の第一波フェミニズムは皆さん一度は聞いたことがある平塚らいてうや与謝野晶子が代表的な論者でした。当時はまさに近代化に向けて大正デモクラシーという動きがありました。やはりどの国であっても、近代化に向かう時に女性の権利が改めて主張されるのですね。市民としての権利と呼ばれる多くの権利が男性のための権利であったからです。

日本では特に母性保護や性的自己決定権についての議論が盛んに行われていました。これは別の記事にて詳解します。一言だけ言うならば「なぜ男性の貞操と女性の貞操はこんなにも扱いが違うのか」という今でも議論になる非常に重要な論点についての議論です。男性と女性に対して適用される規範が異なる、ダブルスタンダードへの疑義であるわけですね。

まとめ

このように、フェミニズムの歴史とはまさに「人間としての権利から除外されてきた女性」の権利獲得運動という文脈で始まりました。特に第一波フェミニズムはそのような色が強いと言えます。

次回の記事では第二波フェミニズムの詳解に移ります。このような背景があったからこそ、多くのフェミニズム運動はジェンダー論と近いにも関わらず、どうしても「女性の運動」という評価を受けざるを得ないということがよくわかりますね。

あらゆる「ベキ論」を可視化し、その問題を改めて問い直す。そんな連載にしていきますのでどうぞ宜しくお願いします。

連載「生きづらさとジェンダー論を考える」
vol.1フェミニズムの歴史を概観する:第一波フェミニズムとはなんだったのか
vol.2フェミニズムの歴史を概観する:第二波フェミニズムとはなんだったのか
vol.3ジェンダーを巡る:近代家族という発明品と伝統の構築
vol.4ロマンティックラブ・イデオロギーと母性神話:恋愛、結婚、子育てを巡る現代の価値観
vol.5結婚への圧力が消えた社会の未婚化→少子化とジェンダー
vol.6女性の専業主婦願望の難しさ、男性が共働きを求める理由
vol.7「LGBTは気持ち悪い」記事から見える【元】マジョリティが認めたくない現実
vol.8パートタイムと非正規雇用:女性の労働問題からすべての人の労働問題へ
vol.9海外で上映が一部禁止!? 男性の権利についての映画『The Red Pill』、日本上映の立役者にインタビュー
vol.10女性の労働、ガラスの天井と能力主義の嘘
vol.11フェミニストが男性の権利を直視するドキュメンタリー映画「The Red Pill」を見て

 

参考図書

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です