ジェンダーを巡る:近代家族という発明品と伝統の構築

「みんな結婚し、男は外で働き女は家のことをする」という近代家族が発明されたのは1920年代。そしていま生涯未婚率は上がり続け20%を越え、家族観は変わり、1970年代には共働き世帯が過半数。伝統は何の根拠にもならないのである。

この連載について

この記事は「生きづらさとジェンダー論を考える」という連載の中に位置づけられる。ジェンダー論とは性に基づく社会的役割規範からの自由を求める思想であり、女性や男性(あるいはそもそもこのような二分法を破壊することも視野に入るだろう)が、その性ゆえに求められるものを浮き彫りにし、その文化的強制力を相対化したいと考えている。

いま、多くの人達が生き辛さを覚えている。僕はその理由の一つはまぎれもなくこのような「べき論」によるものだと考えている。べき論は文化の中に潜り込んでいて僕達を知らない間に縛り付け、抑圧する。そのためにはまずそのような抑圧があること自体を可視化する必要があるだろう。この連載ではあらゆる「ベキ論」をまずは明るみに出していきたい。

連載「生きづらさとジェンダー論を考える」
vol.1フェミニズムの歴史を概観する:第一波フェミニズムとはなんだったのか
vol.2フェミニズムの歴史を概観する:第二波フェミニズムとはなんだったのか
vol.3ジェンダーを巡る:近代家族という発明品と伝統の構築
vol.4ロマンティックラブ・イデオロギーと母性神話:恋愛、結婚、子育てを巡る現代の価値観
vol.5結婚への圧力が消えた社会の未婚化→少子化とジェンダー
vol.6女性の専業主婦願望の難しさ、男性が共働きを求める理由
vol.7「LGBTは気持ち悪い」記事から見える【元】マジョリティが認めたくない現実
vol.8パートタイムと非正規雇用:女性の労働問題からすべての人の労働問題へ
vol.9海外で上映が一部禁止!? 男性の権利についての映画『The Red Pill』、日本上映の立役者にインタビュー
vol.10女性の労働、ガラスの天井と能力主義の嘘
vol.11フェミニストが男性の権利を直視するドキュメンタリー映画「The Red Pill」を見て

 

近代家族とそれ以前

参考図書「ジェンダー論をつかむ」では実に端的な定義がなされています。それは1.私的な領域として、2.政治的・経済的単位とされ、3.夫は稼ぎ手、妻は主婦といった性別役割分業が成立しているような家族であると言います。

(これに合わせて、そのような家族を正当化する「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」という価値観の物語があったりしますが、これは他の記事にまとめます)

これは裏を返せば、近代家族以前にはこのような家族観がなかったことも示しています。江戸時代の共同体において「両親と結婚していない子ども=今で言う家族」が重要な単位ではなく、年齢や性別に基づく集団を作っていました。農業など集団生活のためにはそちらの方が良いわけです。

政治的・経済的単位としても集団が重要であって、家族という単位は存在しません。武家などの結婚というのは明確な利害関係によって結ばれるものであって、恋愛感情というのはここに影響しません。

そして役割分担としても男女ともに働き糧を得ていたという点でも近代家族とそれ以前の家族観とはかなり異なるものであることがわかります。

ちなみに戸籍制度なんかも明治政府がこの時期に導入しましたが元々の目的は住んでいる場所の把握。結局形骸化して住民票にとって替わられています。今となっては保守的、排他的な目的や言説の中で使われることばかりであまり意味のあるデータベースではなくなりました(バツがつくだの婚外子だの)。

私的領域としての近代家族

近代家族以前、家族というのは私的なものではありませんでした。そもそも家族というものがなかったという風にもいえますが、少なくとも結婚というのは関連する両者の合意だけで定まるものではありません。家族や地域共同体の人間(例えば村長)が反対すればそれは叶わないものでした。

もちろんそれによって公的な圧力から家族が完全に逃れられたわけではありませんが(今でも国家や企業や親戚や知り合いが様々な圧力を掛けてきているのは否定できない事実です)理念上は家族というのはその集団の中で「自分たちのことは自分たちで決められる」集団として近代に作り直されたのです。

しかし、それはそのまま「私的な領域だから外部は介入できない」ことを意味しており、そのような中でドメスティックバイオレンスや児童虐待も「私的な領域での話だから」と放置されてきた現実もあります。また、集団の決定と言ってもその中で立場が弱い女性や子どもがその集団の決定に十分携わることができたのかは疑問があります。次節にてそれを述べます。

政治的・経済的単位としての近代家族

家族という単位が政治的な場面で様々求められることは紛れもない事実です。これは家族ではなく「世帯」という言い方をすればわかりやすくなるかもしれません。国勢調査の対象も、多くの補助金などの対象も「個人」ではなく「世帯」になっています。これはDV被害を受けている女性などの場合様々な援助を受けられない状態を意味しています。

また、このような単位として世帯が選ばれる以上、その世帯には「代表者=世帯主」が存在します。この代表者として意識の有無に関わらず当然視されていたのが男性です。社会を構成する単位として近代家族が発明されたと同時に、その世帯主としての男性が種々の決定を行うことが当たり前の社会が作られます。また世帯単位での経済なので、男女両方が働く必要はなく、むしろ役割分担が求められるようになります。これも次節にて述べます。

1920年代にサラリーマンが登場すると同時に、彼らは「家族全員を養うだけの収入を一人で担う」義務と責任を課せられました(これは男性にとっても必ずしも嬉しいことではなかったであろうことが、いまの低収入の男性の結婚率が低いことからもよくわかります)。

これは裏を返せば「女性は男性と結婚すれば収入が必要なくなる」のだから女性の労働は低収入で良いという考え方、労働や採用の仕組みとも密接に繋がっているものです。結婚する人の割合は下がり続ける中、このような仕組みだけが残っていることは「女性の貧困を企業の制度や政策が生み出している」ということも出来るでしょう。

性別役割分業としての近代家族

これは前節までに述べてきた通り、男性が外で働き女性は家事をするという役割分担のことを指しています。これは近代以前では自明のことではありませんでした。とはいえこれによって生まれたのは、「女性が稼ごうとしても稼ぐことが難しい社会」です。

108万円の壁というのをご存知でしょうか。要するに主な稼ぎ手以外がそれ以上稼ぐと様々な税金制度によって損をしてしまうということです。これを作っているのは政府ですから「女性は働きすぎるな」と制度によってメッセージを伝えている/あるいは実態としてそのようになっているわけです。

先程近代家族を「私的な領域である」としたものの実際はこのような形で目に見えなくとも明確な圧力が掛けられていることがわかりますね。特定のライフスタイルが優遇されるような制度を作るということはそういうことです。

相対化すること

このように捉えなおしてみると、いかに近代家族というのがある時代、制度によって構成された概念であるかというのがよくわかります。1900年代を彩った極めて基本的な社会の構成要素ではあるものの、多くの方は「しかし今はこの実態に必ずしも合わない」と思われるのではないでしょうか。

近代家族という社会の基本的な構成要素と思われてきたものが変化している中、いま様々な社会制度が限界を迎えているように思います。しかしこれは当然のことです。近代家族以前の家族観のままでは都市化はありえなかったし、高度経済成長期を迎えることも出来なかったでしょう。

制度は社会的な動きの中で変わっていきます。そこで伝統という言葉に大した意味はありません。ただ、この社会の動きの中で最適な仕組みや制度、社会の基本的要素の変更が求められている。そしてその移行の間には摩擦が多く、困る人がたくさん出てくる。それゆえ制度を変革する声があがっていきます。

いまの働き方改革やダイバーシティというフレーズが多用されているのは、まさにこのような近代的家族を前提とした社会システムの限界を示しているのではないでしょうか。その限界の中で多くの人が生き辛さを感じています。

次回は近代家族とセットで現れた恋愛観「ロマンティックラブ・イデオロギー」について言及する予定です。なんだか冗談みたいな名前のイデオロギーですが、多くの日本人が知らない間に前提としてきた恋愛観といえるでしょう。

連載「生きづらさとジェンダー論を考える」
vol.1フェミニズムの歴史を概観する:第一波フェミニズムとはなんだったのか
vol.2フェミニズムの歴史を概観する:第二波フェミニズムとはなんだったのか
vol.3ジェンダーを巡る:近代家族という発明品と伝統の構築
vol.4ロマンティックラブ・イデオロギーと母性神話:恋愛、結婚、子育てを巡る現代の価値観
vol.5結婚への圧力が消えた社会の未婚化→少子化とジェンダー
vol.6女性の専業主婦願望の難しさ、男性が共働きを求める理由
vol.7「LGBTは気持ち悪い」記事から見える【元】マジョリティが認めたくない現実
vol.8パートタイムと非正規雇用:女性の労働問題からすべての人の労働問題へ
vol.9海外で上映が一部禁止!? 男性の権利についての映画『The Red Pill』、日本上映の立役者にインタビュー
vol.10女性の労働、ガラスの天井と能力主義の嘘
vol.11フェミニストが男性の権利を直視するドキュメンタリー映画「The Red Pill」を見て

 

 

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