プライバシーと超監視社会:利便性・自由・意思

インターネットが生んだのは多様でひらけた世界ではなく、むしろその全ての情報を追跡することが出来る未曾有のプライバシー侵害社会かもしれない。しかしそれによって生活利便性は急速に高まる。日本ではあまり話題にならない超監視社会とは。

本連載について

この記事は「日本と世界の課題を丸くする」という連載の中に位置づけられます。個別の問題についての具体的な分析はもちろん、それ以上に「そもそもどのような課題が日本や世界にはあって、その課題の中にあるサブ課題やそこにある対立、関係性はどのようなものか」を俯瞰的に整理していくことが目的です。

そのために、主に2つのソースを使って記事を書いていきます。1つは書籍。社会問題を広く取り扱う書籍を参照しながらその目次を洗い、いまある課題のカテゴリや構造を読み取ります。もう1つはツイキャスを通した対話です。今後活発に行っていくつもりですので是非楽しみにお待ち下さい。

連載「日本と世界の課題を丸くする」
vol.1 書評:小川仁志「哲学の最新キーワードを読む」
vol.2 ポピュリズムとは何か、そして抵抗としてのスローイズム(Slowism)
vol.3 再呪術化とは何か、理性よりも宗教が力を持つ時代で対話の道はあるのか
vol.4 哲学者がAIとシンギュラリティを恐れるのは、その知が【非理性的】だからだ
vol.5 無自覚なフィルターバブル、閉じこもることが可能なインターネット
vol.6 プライバシーと超監視社会:利便性・自由・意思
vol.7 アメリカと同じ分断が生じる日本には、社会問題のwikipediaが必要だ
vol.8 「日本と世界の2018年の論点」を整理した3冊を丸めてわかったこと
vol.9 2018年の論点本を4冊読んで見えてきた日本の課題と抜け落ちた視点

 

今回の書籍

連載最初に取り上げる書籍は小川仁志さんの「哲学の最新キーワードを読む 私と社会をつなぐ知」にしました。2018年2月に出版されたばかりの書籍である点、哲学のキーワードと言いつつ社会全体を捉えるための重要な視座を提供している点が選んだ理由です。

ちなみにこれまで「様々な社会問題を整理、分類している書籍はないか」ということを色んなところで聞いており、そこで教えてもらった書籍をウィッシュリストにまとめています。もしよろしければ是非おすすめの本をコメントなどで教えて頂けたら幸いです。また、お贈り頂けた場合は必ず書評を書きますので是非お願い致します。

プライバシーとはなにか

個人情報保護が叫ばれる中、そもそも個人情報がなぜ保護されるべきなのかよくわからない人もいるかと思う。一昔前まで電話番号から何から電話帳ほか様々な媒体によって個人情報は開示されてきたからである。

プライバシーという概念自体は1800年代の終わりに法的権利の文脈で生み出された。初期は「1人にさせてもらう権利」という形で芽生え、その後徐々に「自分に関わる情報をコントロールする権利」と解釈されるようになる。

いまだプライバシー論には以下のような多様な論点が内包されているが、大枠として特に2-4の部分が今日では重要だ。インターネットの登場は、一度公開された情報を自分でコントールすることを困難にしたと一般に言われている。

  1. 放っておかれる権利(the right to be let alone)

  2. 他人による個人情報へのアクセスを制限する選択肢(the option to limit the access others have to one’s personal information)

  3. 秘匿、すなわち他人からの任意の情報を隠す選択肢(secrecy, or the option to conceal any information from others)

  4. 自分に関する情報を他人が利用する事へのコントロール(control over others’ use of information about oneself)

さて、このような観点から考えた時にインターネットが生み出した超監視社会が問題とされるのである。しかし、超監視社会とは一体何なのだろうか。どのような点でこれまでと異なるのだろう。

超監視社会とは

ただしくインターネットの登場によって生まれた超監視社会とは、要するに1.ヒトが様々なアクティビティをインターネット上で行ったり、2.自分のアクティビティをインターネット上に保存したり公開するようになったことから始まる。どういうことか?

それは、あなたが一体どんなものを買っているのか、普段どんな人と話しているのか。私的なメッセージの内容はどんなものか、どんな趣味嗜好を持っているのか、どの店によく行くのか、そんな情報をすべてインターネットを介して公開していることに遠因がある。

知らない間に(物凄く長くてほとんどの人が決して読まないプライバシーポリシーや利用規約にはもちろん明記されているが)携帯のGPS情報は企業に取られているし、購入情報などはAmazonからしたら大事な大事な顧客情報だ。最近インターネットを介して-つまりメールやlineやfacebookやtwitter-人と連絡を取っているならその情報もすべて文字情報レベルで取り込まれている。

メッセージや購入履歴、検索履歴などを知り合いに見られて嬉しく思う人はいまい。ほとんどの人は恥ずかしいので辞めて欲しいと思ったり、あるいは絶対に見られたくないと思うような履歴を残している人も多いはずだ。しかし私達はそれを企業にであれば当たり前のようにさらけ出してしまっている。

とはいえ企業もそれらの情報とアカウントや個人の具体的な情報を結びつけて理解出来ないようにしている、と建前では言っている。しかし以前googleのエンジニアが少女のアカウント情報を駆使して脅迫した事件も記憶に新しい。

インターネットを介して、プライバシーが意識しないうちに搾取されているというのが超監視社会の実態である。これは何もかもデータとして残るインターネットだからこそ発生した社会だ。

搾取されるほど便利になる

しかし、ここで重要なパラドクスがある。ほとんどの人は自分のプライバシーを知られることに抵抗があるが、と同時に例えばAmazonでは「自分が欲しいと思うようなオススメの商品をレコメンドして欲しい」と願い、あるいは無自覚にそれを利用している。

位置情報を提供すれば、自分が旅先で撮った写真も勝手に旅行先の名前でアルバムが作られるようになる。あそこで撮った写真を振り返りたいと思えば簡単に振り返ることが出来る。また、天気だっていちいち自分が住んでいる場所を検索する必要はない。あなたが最も長く滞在している場所の天気予報を自動で出してくれるからだ。

こんな風に、私達の生活は加速度的に便利になっていく。面白いのはこれがほとんど無自覚に、気づけば便利になっている点にある。これを恐ろしいと思うか面白いと思うかは人によるだろうが、日常を普通に過ごしている人間からしたらごく素朴な感想として「便利な世の中になったものだな」と考える。それは筆者もそうである。

データはどこへ流れていく?

このようにプライバシーに関わる様々な情報を手に入れた企業は、それをどのように活用するだろうか。端的に言って、それは顧客理解のために用いられることになる。マーケティングと呼び替えても良い。つまり「私達はどんな人を顧客にしているのだろうか」を理解したいのだ、多くの会社が。

Facebookを例にしてみよう。Facebookは色んな友人と繋がれる便利なSNSだが、同時に様々な企業の広告なども流れてくる。この広告、実はあなたを明確なターゲットにして出されているのはご存知だろうか。全員が同じ広告を見ているわけではないのである。

例えばアウトドアブランドの企業の広告は、あなたが普段の投稿で「アウトドア」「キャンプ」「山登り」「運動」「体を動かす」などの単語をよく使っている場合に出てきやすいだろう。逆に最近読んだ本の感想を投稿することが多い人にこのような広告は出ない。

つまり、Facebookはあなたがどんな人かを-メッセージ内容なども当然読み取った上で-様々にカテゴライズし、広告を出したい企業にこういうのだ。「アウトドアが好きな人はユーザーの18%、年齢は何歳くらいの人が多くて、facebookには週末夜に自分の活動を公開することが多い。あなたのブランドを紹介するなら週末夜にいくらぐらいお金をくれれば何人に届きますよ」と。

かくして企業は適切な広告を適切な人にだすことが出来、それを欲しいと思ったユーザーがその商品を買うのならレコメンドサービスですらある。「あなたがきっと欲しがると思いますよ」とアイテムを差し出してくれるのだ。

このような仕組みはグーグルのような検索サービスでもわかりやすいだろう。何が欲しいのか一番わかりやすいのはあなたが検索するワードなのだから。あなたの趣味嗜好-例えばサッカーチームの中でもどのチームが好きか、好きなポルノの種類は、困っている悩みは実らない不倫?-はそのまま売れる情報になるのである。

まとめ

さて、このような観点からインターネットと超監視社会が立ち現れた現代。便利であるのは間違いないが、同時に何もかも知られているという恐怖もある。しかし、一般人にとっては正直小市民の自分の情報が知られようが知られまいが大した問題にはならないし、便利になってくれるならそれで良いと思う人がほとんどだろう。

僕個人としては、それは偽らざる本心だ。人に見られると恥ずかしい情報はもちろんあるが、企業が一個人に対して脅迫などしてくるわけもない。怖いのは警察などに情報が渡されて勝手に逮捕寸前まで行くことだが、テロの予定もしばらくは無いし、テロの予定がある人は出来れば捕まって欲しいと素朴に思う多くの人間にとってこの手の情報共有はあまり問題視されていないように思う。

人によってはこのような超監視社会を嫌がり検索やネットショッピングをしないだろうが、もはや日常生活に溶け込んだそれらの活動をしなくなる日が来るとは自分には想像しがたい。皆さんはどんな風にこの超監視社会を考えているだろうか-あるいは無自覚だろうか-。

次回

さて、連載「日本と世界の課題を丸くする」は次回から「論点整理」に移っていく。お楽しみに。

連載「日本と世界の課題を丸くする」
vol.1 書評:小川仁志「哲学の最新キーワードを読む」
vol.2 ポピュリズムとは何か、そして抵抗としてのスローイズム(Slowism)
vol.3 再呪術化とは何か、理性よりも宗教が力を持つ時代で対話の道はあるのか
vol.4 哲学者がAIとシンギュラリティを恐れるのは、その知が【非理性的】だからだ
vol.5 無自覚なフィルターバブル、閉じこもることが可能なインターネット
vol.6 プライバシーと超監視社会:利便性・自由・意思
vol.7 アメリカと同じ分断が生じる日本には、社会問題のwikipediaが必要だ
vol.8 「日本と世界の2018年の論点」を整理した3冊を丸めてわかったこと
vol.9 2018年の論点本を4冊読んで見えてきた日本の課題と抜け落ちた視点

 

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