大学無償化を丸くする:議論の論点整理-私学助成、Fラン、大卒の価値、高卒採用-

高校の無償化に対して、大学の無償化には議論が非常に多い。曰く国公立大学のみに絞るべき、曰く大学改革と無駄な大学の淘汰が先であるべき、曰く学歴社会がそもそもの問題であるなど。この手の議論を1つの記事にまとめていきたいと思います。

追記:2017.11.22
学習格差の項目について追記を行いました。

全体像

まず最初に全体像を描きたいと思います。大学の無償化については賛成反対どちらも議論が活発ですが「なぜ賛成/反対なのか」の理由は極めて多岐にわたります。その理由は、大学の無償化には複数の論点が内包されているからです。論点ごとに賛成反対の理由や価値観の背景を整理してからでないとそもそも議論が噛み合いません。

どんな議論もそうですが、表面的な賛成反対の意見のぶつけ合いではなく、どのような論点があり、その論点ごとにどのような対立意見があり、その意見の前提となるデータや論理はどのようなものなのかを考える必要があると思うのです。

2017年10月19日にtwitterで多くの主張と意見を見聞きし、自分自身も幾つかの発言を行いました。その中で幾つかの論点に分解することが出来たので、論点ごとに対立意見を整理した上で更に論点ごとの関係を整理したいと思います。

まず、そもそも大学という言葉が持つ広さを設立主体と偏差値の2つの側面から見てみたいと思います。その上で、大学の社会における役割と大卒の価値について考えます。更に教育のアクセス可能性の観点から奨学金や高校における学習格差について触れ、最後に改革の順番についての議論で締めくくる予定です。

それぞれの内容が本当はもっと詳しく論じたいものなので、少しずつ別記事にて再構成したものを作りたいと考えていますが、まずは大きな見取り図を作ります。また、この見取り図は今後更新しうるものです。

対象範囲という論点

大学は2種類ある

まず大学について考えるときには、最初に大学を2つに分けて考えるべきだという論点があります。それは国公立大学と私立大学は分けて考えようというものです。国公立とは国や都道府県が作る学校で、私立は民間が作る学校だと言えばわかりやすい分け方でしょう。

そして大学無償化をするのであれば国公立だけに留めるべきだという意見とセットでこの論点は生じます。税金を民間の学校に大量に投入するのはおかしいだろうというわけです。そして、「なぜおかしいか」については憲法89条を巡って議論があります。

89条は「公共の財産(税金)は政府がちゃんと監督する事業にしか使えない」というものです。ですから、私立のように政府ではなく民間が管理する大学についてはお金は使えない≒無償化出来ないというわけです。ちなみに既に私立大学には助成が行われているので、このお金の使い方についてよく「違憲ではないか」と議論になっています(学説レベルでは違憲という考えもあるが、通説としては合憲)。

大学のレベルの問題

このように主体から考えても大学というのは大きく2つに分けられるので、大学無償化と言っても全てに当てはまるわけではないことがわかります。そして、もう一つ大きなポイントがあります。それは大学ごとにレベルがかなり異なるということです。

1970年後半からの大学のマス化(35%以上が大学に進学する)に伴い、政府は大学の設立を積極的に認めていきました。高等教育を受ける人間が多いことはそのまま国民のレベルを引き上げることであり、また当時の親も生活にゆとりが出てきて子供に良い教育を与え(て良い会社に行かせ)たかったのです。

しかし当時予想していたような国民の永続的な増加は無く、今となっては少子化の時代に。大学はたくさんあるのに子供が減ってきたことで大学全入時代がやってきました。それが意味するのは、当然ながら平均レベルの低下です。国民が急に全員頭が良くなるわけもないので、昔なら大学に行かなかった層もどんどん大学に行くようになります。

いわゆるFラン大学と言われるような大学が増え、高等教育と言えるレベルの教育が施せているのか、そしてそれが可能なレベルの学生が入学しているのか極めて疑問。大学無償化では、こういう大学にまで補助金を出してどうするんだという批判も出ているのです。

小まとめ

ということで、大学無償化についての論点1は「対象範囲」についてです。それは国公立と私学という区分けの問題でもあり、低レベルの大学は排除すべきだという区分けの問題でもあります。また、国公立は最低限度のレベルを保っているので、「低レベルな私学は対象外にするべき」という意見には多くの方が賛同し得るだろうと思います。

大学の役割という論点

続いて、大学の役割とは何かという論点に移りましょう。今回大学無償化について色んな人の意見を見聞きして最も価値観が根本から噛み合わないケースはここが対立していることが多かったと思います。色んな哲学者や高等教育論者の意見を整理したいところですが紙幅の関係で割愛します。単純化すると「教育」「研究」「社会貢献」が大学の社会における役割だと言われており、無償化では特に「教育」の側面が見られるのでそこに絞って整理します。

1.役に立つスキルの教育 2.教養のための教育 3.研究のための教育 4.自分探し-モラトリアムが、大学生に対する大学の役割だという考えがあり、多くの人が異なる側面を見ているために議論が乱雑になる印象を受けました。

役に立つスキルの教育

まず第一に、非常に多くの人がこの視点を持っていました。大学とは社会で自立するための教育を施す場所である-ふんわりした学問ではなく実践で役に立つスキルを身につける場であるという理解です。例えば経営学では簿記をやるべきだし、法学では労働法など現実に役立つものをやるべきだという考え方です。

これは総じて「それが社会で役に立つから」というロジックで正当化されます。社会で役に立つスキルや知識が重要であり、大学はそれを教育する場なのだということです。この観点を持つ人からすると、最早職業訓練校と専門学校と大学との区別は曖昧であり、実際その通りでしょう。調理の専門学校なども大学に統合し、その上で無償化するといった意見を持っている政治家もいるようです。

社会で役に立つ教育を、という意味では専門学校や職業訓練校と大学が機能として一致する。役に立つ教育(だけ)をしろという人達は、自分の論理を通すならここまで通す必要があるだろうと思います。

この視点に立っている人達はインターンなども積極的に行うべきだと考えているはずです。

教養のための教育

2つ目によく言われる大学の役割が、この教養のための教育です。ちなみに教養という概念はこれだけで本が書けるくらいに難問です。一般には「幅広く色んなことを知っている/多角的に物事を捉えるための広い知識」といった感じでしょうか。少しだけ説明しておきます。

例えばギリシャ時代からあるリベラルアーツに起源を辿れば教養は「専門的な学問を学ぶ前の基礎科目」とされ、文法学-修辞学-論理学の3科と算術-幾何学-天文学-音楽の4科で構成されます。それを修めてからでないと上位学部-法学・医学・神学に進めないとされていました。

当時の法学・医学・神学は全て専門職のための科目であり、それを修めると裁判官や弁護士、医者、修道者になるわけです。つまり「すぐに社会の役に立たないもの」をやってから「社会の役に立つもの」に進むという区分けがなされていました。

日本での教養の概念も、この「すぐに社会の役に立たないもの」として受容されました。具体的には岩波教養主義と言われる「難解な西洋哲学:デカルト、カント、ショーペンハウアー」を読んでいることが教養だという考え方に典型的です。なんだか小難しく、かつ社会の役に立たないことというわけです(ちなみにこの辺の教養や哲学の受容の仕方が、一部の人の哲学嫌い・教養嫌いを育てているのは間違いない)。

役に立たないんだけど、立たないからこそ価値ある本質的な学びであり、それは学生の内にしか出来ない。社会実践など働き始めたらすぐに身につくのだから、思考力や幅広い知識を身につけるような教養が大学教育の重要な役割であると考える人達は、大学教育に教養を求めるわけです。

これは「役に立つ教育」とは真っ向から対立する意見です。この時点で、大学に対する人々の期待はかなりズレが生じるわけですね。

研究のための教育

更に「大学とは研究機関である」という立場を取る人もいます。そういう人からすると、大学での教育で重要なのはその「研究者養成のための教育」です。「役に立つスキル」とも「役に立たなくても良い教養」でもなく「学問を研究するための教育」というわけです。

ですから、職業訓練校みたいなものに大学がなることは大反対です。また、もちろん論者によっても異なりますが教養教育を無駄だと考えることも十分にありえます。1年生のうちからしっかり専門教育を行うべきなのです。

教養は知見を広めることには役立てど、それは研究に直結しません。器用貧乏よりも専門バカであるほうが研究にとっては良いと考える人も少なくありませんし、それが日本の大網化(教養的な授業の軽視に関する教育政策の転換:気になる人は調べてみてください)とも繋がるのです。

ちなみに研究のための教育の中にも2つの考え方があります。研究は社会の役に立つべき-そうでなくとも良いという軸です。役に立つべきと考える人達は応用研究を重視することが多く、そうでなくとも良いと言う人は基礎研究を重視することが多いです。ただし、後者の人も「結果的に役に立つこと」を否定する人はあまりいません。

自分探し-モラトリアム

そして最後にありえる大学の役割は、自分探し-モラトリアム期間としての大学です。高校までは受験勉強や部活で毎日忙しかった子ども。その頃に自分のやりたいことを見つけるのは難しいわけです。大学に新しいことをたくさん学び、義務が少なく自由が増し、生まれ育った土地の違う友人が出来て世界が広がる。

その中で、若者は少しずつ自分のやりたいことを見つける。自分の打ち込みたいことに全力で打ち込む。もしかしたら恋愛したり思い切り遊んだりする。それが単純に楽しくて価値があるという人もいれば、それが人格を豊かにするのだという考え方もあり、これは「役に立つスキル」とか「教養だ」という立場とも違うでしょう。

このような立場の人からすると、大学の教育の質は重要ではありません。無償化は基本的にokだと考える人が多いのかもしれません。しかし、今の時代大学はモラトリアムのために良いのだという意見は余り出てこないようです。経済的な困窮が理由でしょうか。

小まとめ

というわけで大学の機能は人によって「役に立つスキル≒職業教育」「すぐには役に立たない広く豊かな学び≒教養教育」「研究者養成のための教育」「自分探し≒モラトリアム期間」とかなり異なる見方をすることを整理しました。

このどれかだけだという人もいれば、複数の立場を同時に持つ人、上述の国公立か私大か、偏差値が高いか低いかによってそれぞれの機能を分けて論じる人もいると思います(国立は研究者養成をすべきだが、私立低偏差値は職業教育をするべき、など)。

1つ確かなのは、このどれもが「誤り」では無いということです。日本の教育法においても大学の役割は高度な人材の育成≒職業教育かつ教養教育的なものと、学究≒研究のための場であるとされています。どれか1つなのだと決めて掛かる人はこれに留意すべきでしょう。それは事実ではなく願望の問題です。

とにもかくにも、立場として無償化を受け入れるかどうかは上記のような複数ある大学の役割のどこに重点を置いて理解しているかによって変わりうるということです。

大卒の価値という論点

続いて大学の役割ともセットで語られる論点ですが、そもそも大卒とはどんな意味を持つのかということを考えます。1.学歴主義についてから始め、更に2.卒業難度≒大卒なんて誰でもなれる問題について考え、最後に無償化する場合の3.留年問題について整理していきましょう。

学歴主義について

早速極めて重たいテーマが出てきました。学歴主義(日本は正確には学校名主義ですが)は多くのトピックと結びついて考えられます。今回のポイントは「高卒と大卒の違い」がキーワードになります。

学歴主義とは、何らかの選抜-端的には就職において大卒以上を求めたり、高卒以上を求めたりすることです。日本でも大卒が求められる仕事が多く「いい会社に入りたいなら大学に行かなくてはならない」と言われます。

そのため「職業教育も教養教育も研究者のための教育もやりたいこと探しも興味ないのに大学に行かなくてはならない層」が生じてしまっています。学歴主義のせいで大学に行きたくないのに仕事のために行くという人達がいるのです。このような状態で無償化することが望ましいのでしょうか。

それよりも、そもそも大卒じゃなくても就職がもっとしやすくするべきであるという意見を持つ人が少なくありません。そして、それは今の大卒が全然価値を持っていないことと繋げて、次のトピックである「卒業難度」と繋げる人も多いです。

ちなみに、いまは大学全入時代であり、大卒の4割は非正規雇用です。もちろん「いい大学の卒業生」はそうではありません。つまり「レベルの低い大学を出てもいい仕事に就けていない」のです。4年間と生活費含めたら500万円くらいのお金を投じて、結局まともな仕事に就けない現状のほうが大問題ですが、それは学歴主義という以上に日本の労働環境の問題でもあるのでより複雑ですね(この記事では触れません)。

卒業難度について

大卒の価値とセットで考えるべきなのがこの卒業難度です。日本は世界を見渡しても有数の「入試は難しいけど卒業は簡単」な国です。これが何を意味するかというと、大学の教育の空虚化と学校名主義です。大卒になる事自体は簡単なので、入試の難易度で人の能力を測定するしかないのです。

本来であればこれはどう考えてもおかしい。高卒時点の能力は受験勉強の能力であり、大学で身につける能力が関係ない。それを評価しても仕方ないですよね。なのに実際にはそうなってしまっている。それは単位が簡単に取れて、つまり簡単に卒業出来てしまうのが問題なのです。大卒の能力を保証するのは大学名ではなくそこで受けた教育と、そこでの評価≒取得単位とその成績であるはずです。

フランスの大学などは留年率が極めて高く、2年次に上がれる人が70%を切ります。その代わり学費は極めて安く、無料とか年間5万円とかそういうレベルです。入学も広く受け入れており、基本的に大学ごとの試験はありません。高校の卒業認定試験が大学入学資格を意味しているのです。日本とは真逆です。入り口は広く、出口は狭い。その代わり、だからこそ大卒には価値があるのです。

入り口だけ難しくて(Fランと言われるところは入り口も簡単で)卒業は簡単な制度である以上、日本では大卒の意味がものすごく薄れるのです。大学で全然誰も勉強していないのに大卒が優遇されている現状がおかしい。高卒も大卒と変わらずもっと採用するべきか、あるいは大卒をもっと価値のあるものにするために卒業を難しくすることが重要で、価値がないものを無償化するべきではないという議論になります。

留年問題

最後に無償化と卒業難度とセットで語られる留年問題について。もしも大学を無償化して、かつ卒業難度を上げると留年する人間が増えます。無償なので急いで卒業する必要もなく、また難度が高いので誰でも卒業出来るわけではないからです。

しかし、大学無償化には物凄い税金を投入することになるので、そういう人達に教育を施し続けるのは税金の無駄であるという立場も当然ありえます。ですから、2年連続の留年の場合は速やかに退学などの処置が取られるようになることは間違いないでしょう。

そして、そのような場合ならば大学無償化も認められるという立場の人もいました。

小まとめ

ということで、大卒の価値という問題についての幾つかの論点を提示しました。要するにA.いまの大卒はほとんど無価値である。B.にも関わらず高卒が差別されている C.よって差別をなくして同じ扱いにするか、あるいは大卒の価値を上げる≒卒業難度を上げることが必要であるということですね。

そうであれば大学無償化は許され得る、という人達がいると思います。もちろんここでも大学の区分の問題があり、国公立はokだが私立はダメだということもありえるでしょう。

アクセス可能性という論点

そもそもなぜ高等教育、大学の進学する人が多いことは望ましいとされてきたのか。国家の人材を育てるということとはまた別に、大きな理念として「高等教育へのアクセスは開かれているべきだ」という考え方がありえます。その観点から見た大学無償化にはどんな論点があるか考えてみましょう。

義務教育と大学

1つ目の大きなポイントは、進学率97%以上の実質的な義務教育と化している高校を含めた小中高の義務教育と大学とは果たして同じ平面で語るべきかどうかという問題があります。確かに教育は限られた社会的階層の人間だけが受けられるものではないほうがよい、それは納得ができます。

一部の貴族のような人達やお金持ちだけが教育を受けられる時代はとうの昔に終わり、今では多くの人が教育を受けられるようになりました。それは自己実現という意味でも国家の人材という意味でも様々な意味で価値があることでしょう。その文脈で大学ももっとアクセス可能にするべきだという意見があるわけです。

そうすると、高校が無償化されるのと同じロジックで大学も無償化へという流れになるのです。大学の高等教育もまた誰しもが受ける権利のあるものであり、ゆえに無償にするべきである。

これについては対立意見が当然存在しており「18歳の時点で自立は可能であり、大学は自由選択の問題である。既に国公立大学がほぼ全ての都道府県にあるのだからアクセス可能性は十分開かれている」と考える人と、「お金の問題で進学出来ない人がいる以上は開かれていない」という人がいるわけです。

貧困と教育へのアクセス

お金が無いから大学に進学出来ない人達がいるのだから、無償化には意味があるという意見を持つ人もいます。これは本当でしょうか? 1つの側面としては当然正しいでしょう。無償なら行けるという人はたくさんいるはずです。しかし、大卒の4割が非正規雇用であり、Fラン大学と言われるところではもっと高いだろうと思われる中「そもそもその人達はなんの為に大学に行きたいのか」が問われるべきでしょう。

もし就職のためだとするなら、Fラン大学ではなくレベルの高い大学に行く必要があります。そしてレベルの高い大学に行く場合は成績が一定程度優秀でなくてはなりません。そして成績が優秀であれば返還不要の奨学金や、少なくとも利子がかからない奨学金を借りることが可能です。いい大学を出れば給与も平均よりは高く、奨学金も返しやすいでしょう。

ですから、そもそも一定程度の能力を持った人間は今の時点でも教育にアクセス可能であり、一定程度の能力が無い場合は大学にいっても結局就職もイマイチなので無償化になっても特に旨みはないわけです。勉強したい!と思うのであればどっちみちレベルの高い大学に行かないと難しいですし。

お金が無いから進学出来ない、は少なくとも優秀な人にとっては嘘であり、よって無償化には反対であるという意見が存在するのもうなずけます。

学習格差の問題

しかし、ここで「成績が一定程度優秀になるためにはそもそも格差が存在する」という考え方もあります。つまり、お金を持っている親の下では教育にしっかり投資が行われ、塾に行ったりしながら勉強して偏差値を上げることが出来るが、お金が無いとそれが難しいとする立場です。

お金がないと優秀になれず、優秀じゃないとアクセス可能じゃない教育は結果的に万人へのアクセスを拒んでいるのです。このような考え方があることもうなずけますし、実際東大生の親の年収は平均よりも遥かに高いというのはデータでも明らかです。

しかしそれに対しては更なる反駁もあり、お金を掛けたからといって子どもの成績が上がるとは限らない。受験や進学についての態度が高ければお金がない家庭からも良い高校に進学し、良い高校の教育を受ければ塾などに通わなくても上位大学に進学出来るとする立場もあります。

ただしそれも結局お金じゃなくて意識の格差という点で、格差が教育へのアクセスを奪っている側面は否めません。また、お金によって解決出来ないので問題はより深刻であり、かつ受験産業-塾や予備校を全て破壊することも出来ないので、実質的には「あらゆる意味で格差のない学力」などというものは幻想であることがわかります。

2017.11.22以下を追記

家庭の経済状況による子どもの学力差は8歳以降に拡大 「逆転は学年が上がるほど困難になる」

という記事が公開されていました。8歳時点で経済力が如実に学力格差を生み、将来的な逆転はかなり困難になるという趣旨。「貧乏の家から東大行ったやつはいるぞ」というのは特殊な事例であり一般的ではないということをデータで示してくれています。

ここから、中高生の学力格差よりももっと幼少期の段階から積極的な投資が必要であることがわかります。国家は大学の無償化などしている暇があったら、この世代に投資して学力格差を少しでも小さくする努力をすべきでしょう。そうすれば優秀な人材はちゃんと大学に行ける。無償化は無意味な大学に勉学に興味のない学生が行く機会を提供するだけで無駄遣いです。

 

小まとめ

というわけで、教育のアクセス可能性からの観点から大学を無償化せよという論点には「高等教育は義務教育じゃないし、アクセス可能性を考慮しなくても良い/あるいはその逆」という意見や「お金がない人が進学出来ないのは問題/能力があれば進学可能」「能力はお金や意識の格差で変わってしまう」といった意見が混在したものになります。

それぞれのトピックについて異なる意見が乱立するため、議論は非常に混迷するわけですね。結局就職が良くないなら教育アクセスの可能性を求めない人のほうが多いのではないかなという感じはありますが(つまり、大学に行くだけじゃいい仕事に就けないことがわかっていない人が多いのではないかと思う)。

改革の順番という論点

さて、最後に改革の順番についての論点を整理して終わりましょう。ここは非常にシンプルなものです。要するに大学無償化は許されるかもしれないが、ただし今の大学のままではダメだという論点です。これはほとんど全ての人が合意するのではないかなと思います。

いまの大学は無茶苦茶です。Fラン大学も大量にあり、もはや入学も卒業も簡単です。単位認定もゆるく誰でも大学に入って大卒になることが出来ます。だから結局入試難度で評価され、東大など一流大学に出ないと「大卒」としては扱われません。

実際、大卒全体の非正規雇用の割合は実に4割。一流大学でのその割合は1%程度でしょうから、Fラン大学などに入ったらその割合は遥かに上がります。そうすると、そもそも多くの人にとって「じゃあ大学なんて行かないほうが良かったんじゃ」と思う人がほとんどでしょう。

それなのになぜ大学に行くのか。多くの場合それは学歴主義の関係で、少なくとも大卒にはなっておかないといけないから勉強したくもないし研究したくもないし仕事で役に立つスキルをみにつけたくもないのに大学に行かなくてはならないからです。

レベルの低い大学には就職における価値は無い-大卒の価値が無い-にも関わらず高卒は差別されている-学歴主義-奨学金問題-優秀な人間は返還不要か無利子-国公立のみ無償化ならあり-など複数の大学改革が行われた後に、始めて大学無償化について考えるべきだという立場があるわけですね。

終わりに:自分の考えていること

まとめ

ということで、今回大学無償化について大きく論点を幾つか設定し、その中にあるトピックと対立点を明らかにしてみました。こうすることで、大学無償化という大きなテーマに対して実に多くの論点があり、それぞれの対立意見があり、その前提にある価値観や世界観があることがわかりました。

こういうものを整理してからでないと、ただ賛成や反対と言っていても全然意味が無いことがわかります。そして多くの場合、自分が関心のある論点以外は考える事ができません。視野に入らないからです。しかし、他の論点から見てみると自分の意見が補強されたりあるいは無意味であることがわかったり、他とも比較検討しないと決められないことがわかるはずです。

例えば「大卒ばかりがいい仕事に就いている。お金がないと成績も悪いし、高い大学には行けない。だから無償化になれば大学に行けていい仕事につける」と思っている人は無償化に賛成するでしょうが、今まで書いてきたとおりそれは幻想です。大卒がいい仕事につけるわけではありませんし、この問題を解決するなら高校生までの間の学習格差の問題に着手すべきでしょう。

様々な論点について1つの記事で見取り図のように整理してしまったので長文になり読みにくいとも思います。今後新しい論点が出てきたらそれも加えて整理しつつ、個別の記事として切り出してより詳細な検討もしたいと思っています。ここに来たらざっと論点がわかるというような記事を目指しましたがどうでしょうか。今後もこんな風に色んな大テーマについてまとめていき、かつ随時更新していきます。

僕の意見

最後に僕の意見を書いておきましょう。無償化は国公立のみにするべきです。憲法上の問題でもありますが、単純に数が多すぎて費用が高すぎるし、いまのレベルの大学に投資しても無駄だからです。

僕はFランと言われる大学は軒並み潰すか、職業訓練校に変えるべきだと思います。社会における価値がほとんどなく、それどころか借金を背負う若者を増やし、4年間の労働力を無為にしています。新卒至上主義をやめ、高卒でも数年間好きな事をした後でも就職における差別的な取扱をしないようにすべきです。

その代わりアクセス可能性の問題として国公立は全ての都道府県に置かれるべきでしょうし、リカレント教育と言われる大人になってからの再学習≒生涯学習も積極的に推進すべきでしょう(大学じゃなくてカルチャースクールのような形でも良いだろうと思います)。

無償化と少数化に伴い大学はより質の高い学生だけが進学するようにし、そこでは教養教育と研究教育にフォーカスするべきです(なので大学院生には給料を払うほうがよいでしょう)。職業教育は大学でやる必要はなく、まさに実地で覚えるか専門学校や職業訓練校で学べばよいのです。

一番腹立たしいのは「大学の勉強は無駄」と言いながら大卒を取る企業です。そういう企業は高卒を採るべきです。職業教育を大学でやる必要はなく、それぞれの専門学校(職業訓練校)で行えばよろしい。大学と専門学校を差別的に取り扱わず、後者を職業訓練を受けた人間としてちゃんと評価して取り扱うことが重要です。

高等教育のオープンなアクセスは、聞こえは良いものの就職に役立つことを意図して求めるなら、それは大学の役割ではないし、それなのに大学の役割のせいになっているのは学歴至上主義のせいです。教養教育を求めるならそれは放送大学などで十分アクセス可能になっているし、研究したいなら学力が必要なので入り口をオープンにしすぎても意味は薄い(投資効果が低い)でしょう。モラトリアムというなら学歴至上主義を壊すのが良いだろうし、それは既に高等教育とは無関係です。

僕はこのように整理していますが、皆さんはどう思いますか? ブログやtwitterなどのコメントを受け、論点やその対立構造など随時更新していきます。

One thought on “大学無償化を丸くする:議論の論点整理-私学助成、Fラン、大卒の価値、高卒採用-

  • 2018年3月13日 at 10:07 PM
    Permalink

    ツイッターから記事を拝見しました。
    まさに、筆者様の言う通りですね。学歴至上主義、新卒至上主義の今は本当に嘆かわしい事態だと思います。下手な大卒より、高卒の人の方が戦力になりえることもあるんですがね…。学歴大好きな人事の方には、わからないんでしょうかね。
    私が大学に入った動機は、教員免許を取得したいためでした。学費は奨学金を利用しました。今、奨学金を返済中ですが、借りたことは後悔してません。免許を取得するための勉強だけでなく、文学と真っ向から立ち向かって研究する、という貴重な経験ができたからです。

    このように私は幸い、大学に通うことに意味を見出せましたが、見出せない人にとって、大学での時間は本当にもったいないと思います。勉強やサークル活動も何もせず大学にいれば、4年もの時間を無駄にすることになります。そんな中で、大学を無償化するとしても、いたずらに大学のレベルを下げるだけで、大卒就職浪人が増えるだけ…。無償化が意味をなさないことは明確ですね。

    筆者様の文を読んでいて、とてもスッキリしました。理路整然としていて、とてもわかりやすかったです。
    また、他の記事も拝読させていただきます。
    ありがとうございました。

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