フェミニズムv.s.反対派:個人の自由(多様性)と共同体主義の対立を丸める

決着のつく日が見えないフェミニズムv.s反対派の対立。結局元々の思想の違いは個人の自由(多様性)と共同体の関係についての考え方の違いにあるように見えるので丸めてみた。集団の存続と繁栄を絶対とするか、それより個人の自由を取るか。

twitterを始めて1ヶ月以上が経ったのだけど、結構議論が盛り上がるときにはフェミニズムv.s.アンチ・フェミニズムのような構図になることが多かった(最初の方のフォローに偏りがあったのかもしれないが)。

その対話や議論の中で、幾つかの対立点が明確になっていったのでその大枠をここに残しておく。今後も随時更新していきたいと考えている。論点ごとに詳しい議論が必要な場合は別記事に書き出す。

特に意見が対立するところについては確かなデータを示すことを基本スタンスとしたい。僕自身の主張も書きたいが、まずは大枠を描いてみようと思う。

暫定的な論点としては、個人と共同体、女性の社会進出・同性婚と少子化、労働と自殺、そしてAIを巡る試論と題した辺りになりそうだけど、色々削ったり補足修正は今後も続くと思う。

フェミニズム、ラベリング

まず大問題なのは、「フェミは〜」とか「アンチフェミは〜」という安易なラベリング。フェミニズムは時代によって主張は違うし、論者によっても全然違う。フェミニストと名乗っている人、そしてアンチフェミズムを標榜する人もよく見てみるとそれぞれ色んな意見を持っていて1つにまとめて語るのは凄く大変。

今後、フェミニズムの歴史や、論者によって全然意見が異なるということについての記事を書いていきたい。ここではこれくらいに留めておくけど結論は「安易なラベリングは物事を単純化しすぎてわけがわからなくさせる」ということ。

だってそうだよね。フェミニズムという言葉に1つの意味しか捉えない人がいたら、それ以外のフェミニズムの人を見つけると処理できなくなってしまう。そうではなく、そのフェミニズムというラベリングの中にも複雑性、多様性があるということ。他のあらゆるラベリングにも同じことが言える。

女性/個人の自由(多様性)と共同体の維持

そして、論点として非常に重要かつ強烈なのがこれ。1つの立場としては「個人の自由や権利が最も大事である」という自由主義的な考え方。とてもよくわかる。もう1つの立場としては「個人の権利は共同体にとってマイナスにならない限りで保障される」という立場。これまたよくわかる。

これは多分、普通に聞いたらどっちも十分に理解出来る常識的な態度だと思う。でも、フェミニズム論争でよくある「女性の社会進出は悪か」という問題では非常に過激な形で思想が現れることが少なくない。

どっちも、穏当な範囲であればまっとうな意見だ。なのに「女性の社会進出は共同体の維持にとってはマイナス(少子化が進むので)だから、女は主婦として家にいろ!」とか「個人の自由を守れない国家なんてこっちから願い下げだ、滅びろ」とかそういう考え方になると意味がわからなくなる。

どちらも基本の思想は共感できるのに、なぜここまで過激な主張になってしまうのか。どっちも現実を捨てて思想を極限まで進めてしまった結果のように見える。どう考えても理想は「個人の自由と共同体の維持の両立」「個別最適と全体最適の一致」であって、そのための制度設計こそが重要。

これについても今後記事にまとめていきたい。その1つの例として、企業のダイバーシティ・マネジメントについて記事を書いた。多様性が有る方が組織として強くなる、という文脈だ。

他にもこの多様性の担保と共同体の維持については色々なテーマで記事を書いていくだろうから、その度にこの記事に少しずつ書き足していきたいと思う。

LGBTと共同体

少しこの記事の本筋とはずれる部分もあるのだけど、とても大事な論点なので書いておく。実は上の論点の個別テーマの1つ。すなわち多様性の中にはジェンダーやセクシャリティ、他にもエスニシティ(民族)や宗教など様々な要素がありえるということ。

このLGBTについてもアンチフェミニズム界隈、あるいはいわゆる保守層と呼ばれる人は反対の人が多いように見受けられる(だけで、本当はそうじゃないかもしれないけどデータが無いので今度探してみたい)。

他のあらゆる多様性と同様に、LGBTもまた1つの自由であって他者から侵害される謂れはまったくないように思う。よく同性婚を認めたら少子化が進むというけど、少子化の議論をするときにLGBTの話は出ない。そこでは労働、収入、高学歴化などが話題だ。だから同性婚のときだけ少子化の話を出すのは基本的に「文句を言いたいから後付で理由を作っている」のだと思う。無意識的であってもね。

同性婚を認めたら少子化が進んだ国があったらデータを見せて欲しい。逆に幸福度は著しく上がるというデータがあるんだけどね。共同体がその構成員のためにあるのなら、同性婚は支持しても良いのではないかと思う。

まとめ

とりあえず初稿(2017年11月13日)は、フェミニズムとラベリング、個人の自由(多様性)と共同体の維持、そしてLGBTと共同体について本当に概要だけをまとめた。ここから、関連する記事を書いたら追記したり、データを見つけたら書き足していこうと思う。

今後よく論点になりうるものとして移民と共同体についての関係、そして少子化と移民についての関係も記述する必要があるだろうと思われる。

議論は大歓迎で、色んな人の意見を聞きたいのでコメントやtwitterでのリプライなどを楽しみに待っています。あらゆる対話を通して、僕がまだ気づいていない論点や、異なる論の展開を知るのが楽しみです。

6 thoughts on “フェミニズムv.s.反対派:個人の自由(多様性)と共同体主義の対立を丸める

  • 2018年3月14日 at 7:51 AM
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    「女性の社会進出」
    この言葉のおかしさが理解出来ない者は、フェミニズムを語る資格はないと思う。

    Reply
  • 2018年3月14日 at 3:15 PM
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    旧来の女性のあり方が社会参加ではないというのか!けしからん!!

    という意味なんだろうか?

    Reply
    • 2018年3月14日 at 11:06 PM
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      女性の社会進出という文面をそのまま読むと、女性はこれまで社会にいなかったことになるが、さて、社会とは何ぞや?ということ。
      そして逆に、社会に参加していない人間っているのか?ということ。

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  • 2018年3月15日 at 12:20 AM
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    何度も同じ内容を反芻するようだが、
    「女性の社会参加」
    これほど女性の人権を軽視している日本社会を象徴する言葉もない。
    この言葉が一般的に受け入れられ使われてきたという事実によって、日本はどうしようもない男尊女卑国家であることが分かる。
    勝手に丸くするな。日本の女性たちは今も昔も戦い続けているのだから。

    Reply
  • 2018年3月28日 at 10:10 AM
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    これ読み直して思いついたLGBTから考えたフェミニズム

    LGBTが汎社会的に嫌われる理由
    1・同性同士がイチャイチャしているのを見
    る生理的嫌悪感。同性に求められる恐
    怖。
    2・共同体存続のため。

    1と2が組み合わさって宗教の教義になっ
    たり、同性愛が道徳的禁忌になったり迫
    害される原因になってきた。

    1は説明する必要もないから2について。

    上述の文にあるように、

    LGBT許容と少子化に相関はない。

    とする。(実際LGBTは他の動物にも確認されるもので、どうやってもいなくならない。許容してもしなくてもどのみち番わないし、絶対数が少ないから強制的に番わせても社会全体の出生率向上にはあんまり影響がない)

    では2は間違っているのか?
    LGBT受容しても共同体存続に影響はないんだろうか?

    ここで過去を振り返ってホモが許容された社会を見てみる。

    1.古代スパルタのホモ隊
    2.日本戦国時代の衆道

    3.古代ローマ末期
    4.現代ヨーロッパ先進国

    5.アメリカ合衆国

    このように分けてみた。
    1と2は軍隊の中のホモ文化。

    345は個人の多様性を認めようとするLGBT許容。

    1と2は歴史ではよくある話で、結局のところ性欲を解消する道具としての女の代用品としてのホモ。そこに精神性を見出して高尚なものとみなした例。
    ここから、
    生まれつきのホモで無くともヒトは必要に迫られれば同性を愛するようになると導ける。(生理的嫌悪感の超克)

    で、345なんだけど、LGBTを認めることが社会を弱体化させるって意見の人は大体ローマ帝国末期を思い浮かべると思うんだよね。

    でもローマ帝国滅亡ってゲイが滅ぼしたわけじゃないよね?
    多様性を受容する社会は不寛容な社会に負ける。LGBT許容は多様性受容の一つの表出であって、原因ではない。

    この見方が正しいのではないか。
    なぜ多様性を認めると弱くなるのか。(ジズヤ廃止したムガル帝国とか)

    は考えれば分かるよね。長くなるから書かない。

    アメリカが多様性を認めて分裂しないのは、アメリカ人であれ!

    って一つの軸で縛ってるからだよね。

    共同体のアイデンティティを

    アメリカは移民国家である!
    いまは未完成だから色々問題あるけど、すべていずれ解決する。我々は発展途上だ!

    って共通認識で持たせてる。
    だから何か問題があっても国内で対立する集団はぶつかることを国家のレイヤーで考えないし、問題があること自体も国のせいにしない。
    アメリカがまとまってるのはいつまでも国民の意識が新興国のままだから。

    対するヨーロッパは移民問題でグダグダ。
    共同体って要するに
    俺たち vs お前ら

    って自分と他者を分けるから生まれるわけじゃん。
    多様性を認めると「俺たち」の中に無数の「俺たち」が生まれて争うから国が割れるんだよね。
    だから国を割らないためには多様性を持ちすぎない方がいい。

    でも多様性がないと価値が流動しないから社会は停滞する。

    多様性は常に必要だし、取り過ぎたら破滅する。そんなもの。
    そんで適量は各国によって違う。

    んで、多様性を認めすぎると共同体が滅ぶんだけど、歴史軸で共同体同士の戦いをみたら、そのルールが変わってきてるよね。

    そんで、思いついたことはこれ!
    LGBT許容やフェミニズムを話し合うときに、過去を例に出して否定する保守派を説得する際は、共同体の抗争のルールの変遷から許容することの妥当性を説いたら良いのではないか?

    ということ。
    LGBT許容については戦士の文化と戦争形態の変化、女性の社会参加についてはグローバル経済と相関でみて話せばいい。

    伝わるだろうか。

    Reply
  • 2018年7月13日 at 1:50 PM
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    女性が資本持っても養わない、少子化の根本原因だから妥当

    Reply

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