批判に応答する:政治的な映画を無批判に称賛することについて

ここ数日、フェミニズムとミサンドリーの関係について書いた記事がプチ炎上して多くの批判を頂きました。そこから更にフェミニズムに批判的な視線を向けた映画に関する感想記事にも批判を頂きました。それに応答するのがこの記事になります。

この記事は、どのような内容の発信について、どのような批判を受け、そしてそれを受けて自分はこれからどのようにしていこうと考えているかをまとめたものになります。

まず、今回批判の対象になったのはこちらの記事でした。

The Red Pillという映画の感想を書いた記事になります。ここでは簡単に映画の概要と、それに対しての僕の感想を再掲します。

【映画の内容】

これまでフェミニズムやLGBTについて幾つもの映画を撮ってきたキャシージェイ監督のドキュメンタリー映画。彼女自身ハリウッドで受けたセクハラや女性に対する抑圧が行動の源泉であるフェミニスト。しかし、それらの活動をしている中で出会った「男性の権利を主張する人」達と対話をすることを通して徐々に自分の思想を問い直す必要に迫られていく…というもの。

 

【自分の感想】

本当に素晴らしかったです。何が素晴らしかったか。それは、キャシージェイが感じる苦悩や葛藤がとてもリアルで、見ている人たちの多くが共感するものであったからです。

10人程でしょうか、様々な立場で様々な主張を行う人達と対話していきます。あるときには「もしかしたら男性の方がずっとこの世界で虐げられているのでは…」と思わされ、かと思うと次のシーンでは「女性が今も奪われ続けている多くの権利があること」を思い出し、と思うと次のシーンでは…。そんな繰り返しでした。

脱帽すべきは、キャシージェイ監督のバランス感。どちらかに肩入れすることなく、どちらかが正しくどちらかが間違っているという見せ方は一切せず、もはや彼女自身も「I don’t know what to believe(何を信じていいかわらない)」と涙ぐむ様子を見せます。

僕はこのように誠実に「わからないこと」に向きあう彼女の姿にとても感動しました。僕自身がやっている活動も、このような形で世に問うことができたらと思わされるものがありました。

この記事に対する批判

さて、このような記事に対して複数の批判を頂きました。その内容というのは「この映画は、女性差別的なサイトにプロパガンダとして利用されており、そのような映画を手放しで評価するのは間違っている」というものでした。

実際に、この映画が大々的に宣伝されているサイト(a voice for menを見てみると「フェミニストは現代の貴族」といった過激な(反フェミニズムの文脈で)記事が多数掲載されており、端的に言って女性差別的な側面のあるサイトと言って良いでしょう。

そのようなサイトに利用されるような側面がある映画について、つまり女性差別をすることが可能な形で用いられ得る映画の、その社会的な文脈を無視して無邪気に内容を肯定することは良くないのではないかという指摘を頂きました。

批判に対する応答

そのような批判に対して、僕は以下のような応答をしました。
1.映画の内容はやはり素晴らしいものであると考えている。監督は決してどちらかの思想、あるいはどれかの思想に偏ってこれこそが正義であるという描き方は決してしていない。該当サイトについても決して肯定的には描かれていない。最初にはむしろ差別主義者の巣窟だという描写すらされている。

2.とはいえ、この映画が社会的な文脈の中で暴力的に利用されていることも事実であって、そのことを記述しない、あるいは意識しないで肯定だけをすることは危険なことであるという指摘は十分納得のいくものであり、それについて記事に付記する。

というものでした。他にも対話をしながら色々なコメントをしましたが、結論としてはこの2点が重要だったと思います。特に2についてはこれまであまり意識せずに好きなように記事を書いてきた自分にとっては非常に良い反省を得られるものでした。

なにか暴力的な形でも使えるものについて安易に評価してしまうことが、ときに悪質な用いられ方をする場合もある。これについては今後も強く意識していかなくてはと思います。

批判を受けてこれから

というわけで、今回このような記事を書くに至りました。またこの記事は該当記事のトップに追記しています。該当記事自体も一部追記をしています。

今後気をつけたいのはもちろん政治的/社会的な文脈を切り離した創作物の評価を避ける、その作品が持つ背景までも含めて批評(というほどのものではないが)を行うことを徹底したいということです。

単純に映画を見て面白い面白くないというレベルの感想を述べるのではなく、このメディア自体が極めて政治的な内容を扱っているにも関わらず、そこに無神経だったことを恥ずかしく思います。と同時に、しかしこの映画が社会的にどう取り扱われているかということについて批判的にコメントをしてくださる方のお陰でおそらくはこれからも僕がそういう文脈を「読み取れなかった」ときにも批判をいただけることを祈ります。

このような感覚というのは、本当に本人ではまったくわからないことも多い。だからこそ、他者の批判にひらかれた心や態度をどれだけ持てるかというのも重要なポイントになると思います。自分自身意識して今後同じようなことを繰り返さないよう努力することはもちろん、また同様の批判を頂いたときにかたくなに自分を防御しないようにすることを徹底したいと思います。

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